本の要約チャンネルはなぜOKか、学術的視点
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こんにちは、映画☆星読みライターのJunkoです!
昨日(3月16日)の地震は大きいものでした。影響がありました皆様へ、心よりお見舞い申し上げます。
私も多くの視聴者のように、YouTuberさんたちの本の要約チャンネルのお世話になっています。長くサラタメさんをフォローしており、最近は中田敦彦さんのYouTube大学にもお世話になっています。
そこで疑問が湧くと思うのですが、「本の内容を言ってしまっていいの?」「本が売れなくなっちゃうのでは?」と。今日はこの問いに対して、学術的な見方で探りたいと思います。
私はアメリカ留学をしていたこともあり、論文の書き方は徹底的に叩き込まれましたし、よく理解しているつもりです。
論文を書く時には、自分独自の主張(ステートメント)が必要です。この世の中に、すでにオリジナルなことはないかもしれないけれど、「自分はこう考える」という主張が何より大事で、それを裏付けるために、各論を展開していきます。その時に、同じ主張をしている権威者の言葉を引用しますし、論文を書くために、引用しなくとも全体的に入れた知識があれば、それも明記します。
Reference(レファレンス)は引用のことで、どの著者のどの本で、何ページという詳細を明示します。一方、Bibliography(ビブリオグラフィー)は参考文献のことで、この論文を書くにあたって間接的に影響を受けた文献のリストです。
まずこの前提があって、なぜこんなことをするかというと、知識の流用は「plagiarism」(プラジアリズム)と言って、犯罪だから。学術界で一番してはいけないことで、これをすると学術界を追放されることを、皆知っているから。
そのくらい、自分の意見、主張は尊重されているということです。逆に、レファレンスやビブリオグラフィー以外に他人の主張との類似性を指摘された時、自分を守ることはできません。
これら、論文の書き方はある程度「型」があるので、慣れてしまえば苦ではないですが、いかに本を執筆する(=自分の独自の主張を展開する)のが大変なことかも、身に染みて感じます。
それで、本の要約チャンネルでやっていることと言えば、もちろん本の内容に一部触れますが、「読んだ上での私なりの解釈」ということが多いです。例えば、10個のポイントがある本に関して、「特に私が大事だと思ったのはこの3つ」とすることで、その人のフィルターを通して選んだことに、オリジナリティがある、と言えないでもない、ということになります。
ちなみに、要約チャンネルが論文だとしたら、及第点です。なぜなら論文では、自分の意見をサポートするために、多角的に検証していくので、例えば2−3ページのエッセイでも、本を10〜15冊読むというのはよくあることです。要約チャンネルの場合、引用であり参考文献は、紹介する1冊だけになるので、多角的に検証されていない、根拠が弱いということになります。
例えば、効果的な睡眠に関する作品を最低10冊読んだ上で、ある新著について取り上げるとしたら、価値が数倍増すと思いませんか。それは立派な評論であって、その方なりの切り取りがあって、内容要約ではない部分で議論を展開することができるはずです。賛成意見も反対意見も引用しながら、こちらの方が説得力がある、というまさに自分の意見を言うことができるでしょう。
とここまで書いたら、YouTube大学ではその路線でも作成されていましたね。さすが。
そして、同じ1冊の本でも多くのYouTuberが要約に参加しているように、全員同じアウトプットにならないというのが、クリエイターの創造性が尊重されている証だと思います。動画全体の構成、説明の言葉づかい、選ぶ事柄、自分の体験談の有無など、作り方は様々です。
本1冊ではその本が選び取った主張しか知ることができない。要約チャンネルは大変有難いですが、自分で丸ごと1冊読む価値とは変えられませんし、そこからさらに別の本と比べるなど、自分流のアレンジが必要なことは間違いありません。
私は本要約のお世話になりますが、映画要約は使わないですね。自分で見たいし、自分で解釈したいから。監督の過去の作品との比較も、同世代の作品に見られる傾向も、俳優さんの味わいも、セットの作り込みも、好きだから全部自分で味わい尽くしたいし、私の場合は話すよりも書きたいです。
情報は選んで取る時代。
発信者にとって好ましい時代環境になったことは、大好きだ!