パリコレ学の立役者、冨永愛さんのギャル魂

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こんにちは、Junkoです!

『日曜日の初耳学』(当時は『林先生の初耳学』)で人気だった、アンミカ先生の「パリコレ学」シリーズ。大好きすぎて当ブログでも採録を続けていましたが、このコーナーに大きく貢献したのが、冨永愛さんではないでしょうか。

私はアンミカ先生世代(アラフィフ)で、それこそクラウディア・シファー、ケイト・モス、シンディ・クロフォード、ナオミ・キャンベルらスーパーモデルを見て育ちました。今モデルを目指す方々は10代後半から20代。自分たちが知りうるスーパーモデルで近い存在としては、冨永愛さんだと思います。もちろん『CanCam』の蛯原友里さんや押切もえさん、『Seventeen』の三吉彩花さんや永野芽衣さんなど、メイクや服を真似することでああなりたいという憧れのモデルさんはたくさんいます。しかし、ブランドのモード系衣装を着こなし、世界を舞台に活躍するスーパーモデルとなると、私たちの知る人はぐっと限られる印象。そして冨永さん、モデルだけでなくチャリティ団体ジョイセフのアンバサダー活動、記憶にも新しい「グランメゾン東京」での俳優業、そして、2020年に37歳でパリコレ復帰という、簡単にはできないことを成し遂げています(先日の新庄剛志さんにも通じる追求の精神!)。

実際、冨永さんが「パリコレ学」の現場に登場すると、学院生から憧れのまなざしやため息はハンパないです。そんなわけで冨永さん、林先生のインタビューに応じます。2021年7月4日放送回、番組の章立て順に紹介します。

オープニング

#274「スーパーモデル冨永愛★37歳でパリコレ復帰&コンプレックスとの向き合い方」と題し、冨永愛さんをお迎えします。「パリコレ学」はアンミカ先生の指導のもと、選ばれた学院生がパリコレを目指すコーナー。特別講師としてアドバイスをしてくれたのが、冨永愛さんです。

パリコレ学のメンバーとは(接点がありますか)?と聞かれ、「初々しさはもうないです。プロとして自分の道を歩み始めています。門田怜ちゃんは仕事現場に来てくれたり、平田かのんちゃんも今度ランウェイを一緒に歩く。ガラッと変わって大人っぽくなり、体がきれいで動きもシャープだと評判」なのだとか。

黒木ユウさんは自分の力でパリ、ミラノに出演していたそうです。

そして冨永さんは「パリコレ学」で触発されてしまい、昨年10年ぶりにパリコレへ復帰。教えていたら自分が出たくなっちゃった、と話します。

パリコレモデルの原点

モデルになったきっかけは、「そこにあった。モデルが

長身がコンプレックスで14歳で175センチあった、自分のことが大嫌い、学校に行くのも友達と遊ぶのも嫌だ。背の高い子にアタックしても、小さい子が好きだと言われる。

消えてなくなりたい、と思うほどに自分のことを呪っていた時に、姉がモデルをやってみたらと言ってくれたそうです。じゃあやってみようかと調べてその世界に入っていくのが15歳、何をやっているのか理解はできなかった。

理解でき始めたのは、海外に行き始めた17歳。チャンスを掴んだ1枚が、有名な写真。ラルフローレンのカーディガンにミニスカート、ルーズソックス。これは学校が終わり東京に出てきて、スタジオに入った瞬間の写真。この服装でスタジオに入ったところ、写真家レイモンド・メイヤーさんがその格好で立ってと言われ、撮ったのだそう。代表的な1枚で、第2ボタンがなく安全ピンでとめているのだとか。

https://www.vogue.co.jp/fashion/i_supermodel/vol1

ノーメークの1枚がVOGUE JAPANに掲載され、ニューヨークのモデル事務所からオファーが来たのだとか。ルーズ・ソックスがなぜはやったのか分からない、と話す林先生に、冨永さん、「ディオールのデザイナージョン・ガリアーノが、真似てコレクションを発表するほど、日本のギャル文化に影響を受けている」と話します。

林先生は、日本が海外に影響を与えたものはあまり多くない印象と話しますが、「ギャルはすごいですね、強いですね」と笑います。冨永さんもギャル世代で、ギャルのすごさは、人のことを気にしない、自分が言いたいことを言う、これでいいじゃんと言う。そんな人種なのだそう。

冨永さんも、「そのままギャルのポリシーでランウェイに行っている」。

「情熱大陸」で2002年10月に放送された、冨永さんの映像が挿入されます。オーディションを受けにブランドオフィスを訪ね、会話もなくすぐに着替えてウォーキングを繰り返す、そんなシンプルな映像。そして当時20歳の冨永さんのコメントです。「自己紹介は全然ない、そのウォーキングが自己紹介だもん。今いいこと言った?」

その映像を見て、冨永さん「恥ずかしすぎるでしょ、これ」と振り返ります。同時に、「ウォーキングが自己紹介」はその通りで、変わらないとも話します。粋がったコメントというよりは、当時は英語もそれほど話せなかったため、歩いて自分を見せるしかなかったが、モデルはウォーキングが自己紹介なので一番大事、ということを伝えて下さいます。パリコレ学でも、体幹が整ったウォーキングが迫力でしたね。

当時の冨永さんは、どのランウェイやキャスティングに行っても、「勝ったな」と言っている。落ちているものもあるが、引きずられずに「仕方ない。ざまあみろ」と言いたい、と。林先生、戦いの世界が向いていて、好きなんですね、と伝えます。

林先生、冨永さんの著書から「欠如、削除、憎悪、復習というネガティブな言葉がポイントで出てきた。人生を綴るのに深いものがあったのでは?」と訊ねます。冨永さんは、2014年に『Ai 愛なんて 大っ嫌い』2020年に『冨永愛 美の法則』を発表されています。

モデルをしていていい思い出はたくさんあったものの、スポーティな衣装と古いスニーカーを与えられたりと、振り返れると「事実は9割辛かった」のだそう。そして、ファッションが好きでこの世界に入ったわけではなく、高身長でコンプレックスを持つ自分が好きになりたくて入った冨永さん、さらに厳しい弱肉強食の世界にさらされます。3秒でジャッジされるので、絶対負けないという思いが出てくる。この思いが私を引っ張ってきた、と語ります。

これから先もモデルをやっていきたい、ここ(コレクション、ランウェイ)に戻ることで自分の地位を確立している、勝ち取ってやるという気持ちが湧くのだそう。

そして、37歳で復帰、モデルの平均年齢を考えれば極めて異例のことです。林先生、「戦わないと分からないこと、負けて分かることもある。戦っている人が無意味なことをしているわけではない」とコメント。

10年ぶりのパリコレ復帰

冨永さん、「自分がどう感じるのか、ランウェイの直前までどうかなと思っていたが、歩いていたら何も変わっていなかった。緊張感、気持ちいいなという思い、ここが私の生きる場所だという思い」。オーディションに戻った時のドキドキ感もあり「私大丈夫かな、行って」という気持ちや、きつい感じ、あしらわれる感じもフラッシュバックしてくるのだそう。そして、冨永さんが誰かを知らない人もいるので、20代の頃の「絶対負けない、お前ら見てろよ」という気持ちと入れ替わるのだとか。オーディションに、2つ合格します。

「自分は絶対やれるって信じているけど、100%信じてあげないと成せない」と話す冨永さん若い頃から一緒で、自信と不安が入り混じった感情なのだそうです。

「絶対負けないというのは、表面的な冨永愛。もう一人はすごく小心な冨永愛。それはなかなか見せないです」完璧に、スーパーモデル冨永愛を演じているんですね。

一方の林先生も、予備校業界は入れ替わりが少なく、教壇に立っている人たちが10年前と変わらないのだそう。その中でも林先生はぶっちぎりでトップ。冨永さんもその環境は似ているという意味で、「ぶっちぎりでトップですよね、私が」と思っていることを明かしました。番組で使われること必至のキラーフレーズですね。

美を維持するための体づくり

冨永さんは、ご自分に過酷な美容ルールを課しています。

そのうちの一つ、ラーメンは1年2回まで、というルールがあるそうで、「この番組で言ってしまったから食べられない」と笑いに変えつつも、「今年は1回食べました」と冨永さん。新潟で醤油ラーメンを食べ、今年の2杯目は豚骨にしたいな、と話します。

朝早く起きる、お風呂に入る、30分ヨガ、トレーニング。30代で体の衰えを感じ始め、モデルとしての体型を維持するため努力されています。加えて2日に1回は、1時間の体幹とヒップを重点的にトレーニングしているそう。VTRを見ていたアンミカ先生も、素晴らしい、と共感と応援の言葉を送ります。

食事に関しては、朝食は(固形物は)食べずにドリンクを飲む。甘酒(ノンアルコール)、青汁(乳酸菌入り)、高濃度ビタミンC、白湯。そして炭水化物は昼のみで、酵素玄米しか食べない、かつ発酵食品を取る。玉子かけご飯などをたまに食べることもある。夕飯は6時で、野菜とタンパク質中心。続けることが習慣を作っていきます。

冨永さんの言葉です。「こうでありたい、こういう冨永愛が好き、モデルの冨永愛が好きだからできる。モデルは死ぬまでやる。ランウェイは気持ちいい。その空間、全部自分のものになる。オーディエンスの人間、空間、衣装の世界観、すべてが自分のものになる。支配者になる」

ビリビリする、という冨永さんに、「魔力のある場所なんですね」と林先生。ランウェイの写真を指差して「これ感電している顔ね」と冗談を言う冨永さんです。

林先生も授業がうまく行っている時は「支配している感覚がある」と加えました。

今後の野望

15歳デビューから23年。「グランメゾン東京」出演など、冨永さんは今も活動の幅を広げています。

やりたいことがいくつかあるそうで、「時代劇に出たい。侍をやりたい、男役をやりたい。殺陣が好き。高校で居合道をやっていた」。やはり身にならないものなど一つもないのですね。林先生は、TBS系の時代劇でオファーが出せることで「パリコレ学の恩返しができたらいいな」と添えました。

誰にも遠慮することなく、自分のランウェイを歩く。冨永さん曰く、コンプレックスはこんなふうになってもなくならないし、消えない。ただ小さくすることができるし、消そうとしない方がいい。180㎝近い身長で、今でも小さく生まれたかったと思っている私がいるのだそうです。

最後に教育にも関するお話です。冨永さんご自身劣等感があり、できないところばかりみるが、できることを見たら世の中が変わる。できないことを頑張っても最初からできる人にかなわない。日本の教育方式で、平均的に伸ばすのはよくなく、できないことで自分が落ちぶれたという感覚になってしまう。突出していることが一つあればいい、ただし自分ができることを頑張って見つける

そうなんです、ここは星読みをしている私も深く共感。口を開けて待っていることでは手に入らず、自分で見つける、選び取る、決めるしかないのです。

林先生も、「ここから先の世の中は、分かりませんで許されるほど甘くない」と伝えます。自分で切り拓いた人に道ができていくんですね。

この後は、林先生へのウォーキングレッスンがありました。

(C) MBS

冨永さんは、モデル冨永愛が大好きで、演じようと決めた方です。一般人として小心者の冨永さんを知らない私は、「演じ続けるのはしんどいのでは」と思ってしまったりもします。それは、タレントさんからもよく聞く言葉で、「こういう(きつい)リアクションを求められている」ということが重なると、本当のご自分とのギャップに疲れてしまうことがあるようです。過去に山口美江さんや、医師の西川史子先生が思い浮かびます。

ですが、自分がOKならばそれはOKなのですね。腹をくくる、そういうことです。冨永さんのコンプレックスはコンプレックスのままではなく、すでにバネであり、燃油に変容しています。これからも、ランウェイや撮影での、どや!感のある自信あふれるカッコいい冨永さんを、楽しみにしています。

パリコレ学は、アンミカ先生が「母ちゃん」的で好きでして、再開を待ち望んでいます。そして冨永さんは現役枠で、後輩の指導に当たって下さったら、嬉しいです!

Junko

1973年静岡生まれ、星読み☆映画ライター。アメリカ留学経験者、異文化交流実践者、広報コンサルタント。

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