ポテサラ論争を宇宙の法則で見てみる

久しぶりに、宇宙の法則(UMI: Universal Mind Integration)で見てみたいという現象が起こりました。「ポテサラ論争」です。

登場人物は3人ですね。大よその反応は、幼児連れの女性、そしてポテサラを買って応援の気持ちを送った「私」への共感と、男性は何を言っているんだ、何もわかっていない、という非難です。

私が宇宙の法則を学んだ時に、難しいと感じたことの一つは、「この世の中、いい人も悪い人もいない」ことであり、「すべては自分に原因がある」ことでした。あ、二つになっちゃった。

他人から“ひどい”ことを言われた時、「ひどすぎる!何それ」「ありえない!信じられない!」「気にしない方がいいよ」と傷をなめることが一般的です。言われたことを忘れるまで時間に頼ったり、それなのにふとした瞬間によみがえってきて、悔しい思いがまたこみ上げたり。悲劇のヒロインですね。

UMIではその事象に関して、「自分が気にしていないことなら、気にならない」と教えてくれます。つまり、男性の発言が「ポテトサラダなんて子どもに作らせろ」であればまったく意味をなさず、「ポテトサラダなんてカロリーが高すぎるぞ」「ポテトサラダはカレー味がいいに決まってるじゃないか」であれば「そう思う人もいるよね」とスルーする反応になったと思われます。

つまり、「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」発言の一部に、スルーできない何か、自分の中で反応する部分があったということです。「何の制約もなければ自分で作りたい」かもしれないし、「いい母親なら手作り料理をふるまう(べきだ)」かもしれない。ここ気づきにくい。

そして、ポテサラを応援の気持ちとともにカゴに入れた投稿者の方も、同じように自分の心に引っかかって、反論の意志表示でポテサラを買いました。でも、幼児連れの女性の受け止め方と、投稿者の方の受け止め方はそれぞれで、切り離した方がよいでしょう。同情するのがよいこととは限りません。

SNSで論争になってしまったということは、結局世の中の多くの人が「母親は手料理で家族を支えるべきだ」というブロック(思い込み)を抱えて自分を縛っている、だから総菜を買うなんて手抜きで後ろめたい、ということじゃないかしら。そうでなければ、「この高齢男性は、そう思ったんですね~」で流せるはず。

多様性を愛でるということは、男性を非難することではなく、男性の見方の背景に興味を持つことです。今回の発言はすごく世代感が出ているので、この男性の正解をちょっと押し付けてしまいましたね。スマホの時代に「まともな家なら固定電話くらい敷いたらどうだ」と言うような感じかな?これなら流せますよね?

まいどなニュースの記事にあるように、今どきの母親は時間を買うという発想や、プロが作ったポテサラを食べられて、あー楽ちん&幸せ、と自分の判断軸でそう思えたらいいですね。

宇宙の法則に戻ると、何かカチンと来た時に、なぜカチンと来たんだろう、を見ること、おススメします。自分の価値観や規範と反していることや、自分が全く同じように思っていて、図星だから居心地が悪い、ということもあるのです。そこが分からないと、分かるまで同じことが繰り返し起こります。これ本当。

UMI(ユニバーサル・マインド・インテグレーション)
自分の思い込みに気づき、心のブロックを外していきます。
マスターコースは約3か月、オンラインで実施します。どの講師から学ぶかは選べます。私は山本八栄子先生に習いました。

https://ameblo.jp/naturalcaretouch/

Junko

1973年静岡生まれ、星読み☆映画ライター。アメリカ留学経験者、異文化交流実践者、広報コンサルタント。

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