データがものづくりを凌駕する時代?

香川照之さんが編集長に就任した、という下りの「トヨタイムズ」CMを最近よく見ます。

https://www.youtube.com/watch?v=s7PvkC-WwKA&feature=youtu.be&fbclid=IwAR0tpqmiMMhdZ2gb7EsBaKdItKLuRhLNBFtvcwsav39JBrWVCb9JTReTjw0

一瞬「トヨタイズム」にも見えますね。〇〇精神を英語で「~~イズム」と言うように。

特設ウェブサイトはオウンドメディアとして多くのコンテンツを要します。突っ込みどころとしては、「トヨタイムズ」なのにURLはトヨタタイムズ(toyotatimes)になっていることです。

モビリティ・カンパニー

「トヨタは車のメーカーじゃなくなる。すべての人に移動する楽しさを提供する、モビリティ・カンパニーになるって」

これが動画の決め文句。モビリティとは、動きやすさ、可動性、移動性などと訳されます。

トヨタは車のメーカーだと誰もが思っているところに、車屋さんから脱却する時が来た、という警鐘にも聞こえますね。モビリティ(移動)・カンパニー。

もしくは、IT業界でのSaaS(Software as a Service)やIaaS(Infrastructure as a Service)などに倣った造語で、「モビリティ・アズ・ア・サービス」移動をサービスとして捉える、という発想です。

顧客理解に必要なもの

20世紀初頭、ヘンリー・フォードが「もっと速く走れる馬」でなく「自動車」を開発したというのは、有名な話です。

マーケティングの世界では、フォードの話は「顧客は自身のニーズがはっきり分かっていない」ということの例に使われています。

この時は「もっと速く」つまりスピードが焦点で、より短時間で移動するために、馬に固執する必要はなかったということです。

そのため、 この「アズ・ア・サービス」 は今に始まった話ではなく、馬から自動車に転換が起きたように、「移動を提供価値として捉える」点では、トヨタのモビリティ・カンパニーもこの延長にあるのでは?と思っていました。

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しかし、ちょうど同時期、野村総合研究所(NRI)の未来創発フォーラム日経のインタビュー記事で、この「アズ・ア・サービス」についての話題が目に留まり、考えが少し変わりました。

NRIの見解では、デジタルの時代は「デジタル化された情報に価値の源泉」がある、と話しています。

同フォーラムの車の例では、自動車を自身が所有、運転するだけでなく、同乗するまたはシェアすることもでき、これらはデータが担う部分です。安全運転もナビもデータ分析の部分、また所有すれば自動車保険や自動車整備も、データで関係してくる分野です。

この話の意味するところは、人間の行動や嗜好がデータで取れ、また機械学習でニーズまでも先読みできる時代、ということなのではと思います。

ものづくりからコト消費へ

ものづくりが得意と自負してきた日本、自動車などはその代表的な例として走ってきたはず。

しかしこのものづくり魂がある一方で、モノに囲まれた暮らしの見直し、時代が物質的な豊かさを求めない方向に進んだのは、トヨタのモビリティ・カンパニーとしての変容とも関係している気がします。つまり、車ではなく移動にフォーカスを当てざるをえない状況に直面するわけです。

2004年の「モノより思い出」というキャッチコピーは、奇しくも車のCMでした
(トヨタではなく日産でした) 。これは自分と誰かが時間を共有をしよう、心を通わせようという素敵なメッセージでしたが、この時点ではまだ「車ありきで思い出を作ろう」という前提が成立していたように思います。

Photo by Studio 7042 from Pexels

そして2010年代のIoTの波が到来。車よりも安い値段でスマホを手にし、移動しなくても疑似的に人との思い出が作れる時代、そこに鎮座するデータ。 「モノより思い出」転じて 「モノよりデータ」的時代に入っているかと。

ここは、ものづくりが敗北と言うよりは、自分たちの知恵と経験でデータに相当する部分を武器にするか、もしくはデータを持つ企業との共存共栄の道を探していくことになりそうです。しかし、絶対的にスピード感は求められる。トヨタさんという会社の未来は、これまでの延長にはないということを確認した上で、製造業がサービス業へ転換、変容、統合していく様子を、見ていきたいところです。

Junko

1973年静岡生まれ、星読み☆映画ライター。アメリカ留学経験者、異文化交流実践者、広報コンサルタント。

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