本当のMaaSを教えてもらった

本当のMaaSを教えてもらった

先日、「ボストンの女性リーダー研修が日本上陸!日本の地域社会をささえる女性リーダーたちの挑戦」というイベントに行ってきました。

行った理由は2つあります。1つはこのJWLI主催のプログラムに複数の友人が選抜され参加していること。もう1つは「地域×女性リーダー」に興味があったからです。東京でのシングルライフは、地域社会を感じにくい。地方都市に暮らす家庭持ちの女性たちは、もっと地に足付いた形で社会とのかかわりを持っているのではないか?という仮説からです。

女性リーダーの発表はどれもインパクトあるものでしたが、一つ心に残ったものを紹介します。特定非営利活動法人移動支援Rera( 宮城県石巻市)代表の村島弘子氏より発表いただきました。ですから、ここで書くことは私というフィルターを通していますが、NPO Reraさんの主張です。

このNPOは「移動支援」をしています。「人が移動する」ことのサポート。そして、この「人の移動」とは「生きることそのもの」だと言います。私もその通りだと思います。

毎日会社に行くこと、電車に乗ること、駅の階段を上ること、ビルのエレベーターに乗ること、全部移動です。

休みの日は?映画に行くかもしれません。近所のスーパーに行くかもしれません。ちょっと遠出して紅葉を見に行くかもしれません。全部移動です。自分の意志が関わっていて、意志の実践として移動しているのです。

そして、加齢とともにこの「移動」はどんどん制限をかけられます。足が悪くなる、転びやすくなる、筋力が衰える、運転ができなくなる、重たいものが持てなくなる、などなど。買いたいものがあっても買いに行けない、食べたいものがあっても食べに行けない。

想像しうる他のネックとしては、「人に頼んだら申し訳ない、悪い」という遠慮の気持ちや、タクシーなどの移動サービスを頼む金銭的余裕がない、ということかもしれません。

Reraさんの活動目的を見ると、「…誰もが必要な外出をあきらめずに暮らすことのできる社会を築く」とあります。これが本当のMaaSだ、とお話しされていました。

新しい洋服を買いたいが、移動手段がないから諦める。スーパーに週1車で乗っけてもらえるけれど、それ以外の曜日は諦める。最たるもの(?)が、お墓参りではないでしょうか。私も自分の祖父母の寺を思い起こすと、山の斜面に建てられており、手すりのあるスロープを頼りにジグザグを2、3往復しながら上ります。自分で歩けるうちは来られますが、車いすになったとたん自力では無理だということが容易に想像できます。

プレゼンでは、車いす利用の方が墓参りを実現できたことが、紹介されていました。一部、車いすも通らないところを2人のサポーターが支え、墓前で手を合わせることができました。そう、墓参りがその人の人生に必要かどうかは、その人が決めるのです。しかし人の介添えを必要とするとき墓参りは頼みづらいですよね。この方は、長年墓参りができていなかったとのことでした。

Photo by Judita Tamošiūnaitė from Pexels

今、自動運転技術などの宣伝では、どうも「行楽に行くグループが、楽しくおしゃべりしながら車移動」なんてイメージがつきまといます。運転できる人がしなくてもよくなる、というパターンです。高齢者マークのドライバーに自動運転を、というのも、まだ運転席に座れる人をイメージしているのでしょう。

しかし、それに当てはまらない方も多数います。 MaaSはテクノロジーがすべて解決してくれるかのように錯覚しますが、時には人とのコミュニケーションや、実際に(自分をおんぶしてくれるような)人の力を借りて、モビリティを実現する。移動をすべての人に、これこそがMaaSなのだと分かりました。

過疎化の地域に自動運転の路線バスを走らせる、なども近い発想かなと思いますが、テクノロジーに全面頼るところ、人を介して乗り切るところをうまく調整、最適化していく必要がありそうな感じがしています。

Photo by Hugo Santos from Pexels