黒塗りメイクの問題にみる、当事者不在の現象

黒塗りメイクの問題にみる、当事者不在の現象

2018年の話題として、気になったニュースです。

差別発言で番組打ち切り 米NBC、女性キャスター謝罪(2018/11)

こちらはアメリカで、ハロウィーンの仮装についてキャスターが「昔は仮装であれば黒塗りメイクが許された」と発言したことを受け、番組が打ち切りとなってしまったこと。「Megyn Kelly Today」という、2014年のTIME誌で「最も影響力のある100人」に選出されたメーガン・ケリー氏の看板番組でした。人気キャスターのひと言が単なる失言やお詫びに留まらなかったことで、事の大きさが伺えます。

メーガン・ケリー氏
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その比較としても出されるのが、

日本の大晦日お笑い番組で黒塗りメイク 怒りと反発も(2018/1)

ダウンタウンの浜田さんが番組内でエディ・マーフィーの完コピをして登場したことが、批判を受けた件。

顔を黒く塗る行為が、黒人への侮辱として受け止められたということです。

こういった演出は、表現の自由と隣り合わせのところもありますが、つねづね思うのは、「当事者に聞いてみた?」ということです。

一般的に侮辱やハラスメント行為は、たとえ意図しなかったとしても、当事者がどう感じるかが問題です。特に肌の色や見た目は、生まれ持ったものであり、変えられない。(心の声:マイケル・ジャクソンにはびっくりしました…。)

私は学生時代、某外国の友人に、目尻を両脇に引っ張って細目にした状態で「日本人の真似」とされた経験があります。たしかに相手に比べたら目が細いですし、本人に悪気がないのも分かりましたが、とても不快でした。なので、黒塗りメイクに相当する侮辱的表現としては、目にセロテープを貼って細くするような行為かな、と想像します。(心の声:顔にセロハンテープを貼っていいのは、清水アキラさんだけだと思います。)

例えば、褐色の肌の人が白塗りをして、「白人の真似」としたら、丸く収まるでしょうか。ハロウィーンなら許されるでしょうか。(心の声:白塗りをしてよいのは、バカ殿だけだと思います。)

クラウンも白塗り、ではある

文化・歴史的な文脈で、ミンストレル・ショー(白人が黒塗りして黒人を差別的に風刺した劇や歌の出し物)、ブラックフェイスを彷彿させる、というのはたしかに日本人には分からない人も多いと思います。シャネルズもいたし、ガングロもいました。でも、ブラックの方に聞くことはできると思うのです。

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昨年、LGBTの観点から大きく問題になったのが、こちらでした。これも、当事者に意見を求める発想がなかった、極めて閉じられた世界での産物だったのだと想像します。

保毛尾田保毛男騒動、フジテレビが謝罪文【全文】(2017/10)

当事者の不在は怖いことで、若者のための会議に若者の出席者がいない、女性の活躍について男性中心で話している、障がい者や外国人も議論から除外されていることがよくあると思います。残念ながらマジョリティの立場では気づきにくい、聞こうという発想になれない。これは自戒も込めて、相手の立場になってみる、第三者の意見を聞く、ということを意識して実践することから、始まると思います。