テクノロジーが織りなす「え、そんなことしてたっけ」問題

職場あるあるの一つですが、近くに新しい店ができた時に「その前の店が思い出せない」。つまり、自分にとってその程度の重要度だったということです。

それと近い感覚で最近とみに感じているのが、私たちの行動や動作も、同じように、いとも簡単に上書きされるということです。

電子決済

例えば、レジで小銭を出す行為が、とても面倒に感じるようになりました。ぴったり出せると快感ですらあった行為なのに。これは電子決済が進んでいることによります。小銭を出すことの「時間まあまあかかる×労力も結構使う=少しはうれしい」は、ピッとすれば終わる「時間かけず×楽チン=うれしい」に勝てなかったようです。よってこの行為は上書きされます。

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クレジットカードなどの磁気カードがいつ終わるかも、時間の問題のように思います。これも財布に場所を取るからです。スマホに集約されるところまでは、一気に進むと思われます。

ペーパーレスとノートPC

2018年は、会合に出ても一気にノートPC持参、パワポ投影、QRコードでスマホに資料ダウンロード、などが進んだ一年でした。

日本はまだまだ紙社会ですが、資料を読み返すのは本当にわずか。紙は重いし、スペース取るし、環境にも負荷がかかります。これまではスキャンしていましたが、ファイル名を付けて適切な場所に保管など、意外と手間。OCRで内容を読み取って、ファイル名までサジェストくれてもいいのにな。

「紙での配布×スキャン=お片付けが得意な人向き」よりも、「電子配布×放置=ズボラOK」の方が人にやさしいです。

私はタイピングそこそこ速いですが、それでもPCでノートテークするよりも、手書きの方が確実に取ることができます。しかし再度打ち込むのが面倒です。「アナログである程度再現×再入力=二度手間」「雰囲気メモ×何なら録音=何とかなる」そんな気がしています。

チケット類

ペーパーレスの続きですが、これの走りは国際線搭乗の際のE-ticketだった記憶があり、やはり世界の流れだったのでしょうか。それまでは、旅行代理店の方が仰々しくチケットを届けて下さったものです。

今は映画をオンライン予約しますし、新幹線もExで乗るし、Peatixではスマホ画面で入場します。

もちろんスマホがぶっ壊れれば一時的に困ることはあるかもしれませんが、電源はどこかで補充できる、インターネットでも確認できるのであれば、紙を忘れて致命的なことは起こりにくい。

たまにこの感覚で、新幹線の回数券買ったりすると、あ、どこに仕舞ったのか、と冷や汗が出ます。

オンデマンド動画

数年前から、アメリカのような車社会に住む方からはよく、「日本はなぜまだレンタルビデオ店があるのか、不思議でならない」と聞いていました。つまり、自分のPCから借りて見ればいいのに、借りて返す手間をかけるのか、と。かつては「借りて返すこと」を生活の一部として捉え、割引のある曜日に行くなど工夫したこともありますが、今考えると「ゴミの日」レベルです。

日本人独特の、手に取ってみたい「現物主義」みたいな発想があるとしても、所詮映画という形のないものを観るわけです。 サブスクリプション制度などで普及し「検索してポチっとする手軽さ」に切り替わってからは、レンタルビデオ店に足を踏み入れたことがありません。ここでも上書きが起こりました。

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こんなふうに、モノがどんどん消えていく時代のように思います。

一方図書館はどうかと言うと、本というモノが存在することで貸し借りができています。本を予約したり取り寄せたりもできます。これを電子書籍にするわけにいかないのですね。ビジネスモデルが変わり、図書館がこの世から消えたら、テクノロジーもホンモノのように思います。

落合陽一さんがお話されていたように、人間はもっとアナログなことをして楽しむ存在になりますね。映画館もしくはコミュニティが集う場所で、不特定多数の人と映画を観る行為も、そこでしか価値を持たない体験として、細く残っていくはずです。


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Junko

1973年静岡生まれ、星読み☆映画ライター。アメリカ留学経験者、異文化交流実践者、広報コンサルタント。

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