ドタバタ喜劇として観た『アノーラ』
こんにちは、星読み☆映画ライターのJunkoです!
アカデミー作品賞を含め5つの賞を受賞した、現代版『プリティ・ウーマン』とも言われた『アノーラ』(2024)。ショーン・ベイカー監督です。
『アノーラ』へのひと言
ジャンルとしては、珍道中ドタバタコメディ。
23歳の娼婦アノーラ(マイキー・マディソン)が19歳の御曹司イヴァン(マーク・エイデルシュタイン)と出会い、若さゆえの未熟な判断をし、ジェットコースターのような旅が始まります。私はすっかり『プリティ・ウーマン』の頭で行ったので、決してシンデレラにはなれないアノーラの立ち振る舞いは、すべてコミカルに写りました。
金をせしめようという腹黒さ、罵声で相手をののしる場面、何がなんでも配偶者として相手の資産をぶんどってやろうとする下心。ついアノーラの可愛らしさに騙されて、こちらも笑顔で見守ってしまいますが、字幕ではなく日本語環境で見たらかなりえげつなかったと思います。
そういう、人間の可笑しさや悲しさみたいなものが、アノーラ、イヴァン、イヴァンの取り巻きを中心に展開されます。このドタバタコメディ自体、共感できる部分は少なかったのですが、ラストシーンは心を打ちました。23歳らしい心の状態とも思いました。格差婚、玉の輿をハッピーエンディングとするなら、今回は(公式サイトにもある通り)ビターエンディング。「後味のいい作品」ではないですが、余韻を残す、観客それぞれが考える時間を持つ効果がある、映画でした。
意外と低予算(600万ドルとのこと)の作品ですが、美しい映像も見どころ。
リアリティの追求ができない世界
本国アメリカでは、あるセックスワーカー/ライターの記事(Romance Labor)が話題となったそうです。セックスワーカーを取り上げていながら、セックスワーカーの描写が非常に薄っぺらいと言うか、断片的だと言う批判です。
例えば、アノーラが「アニー」という名で仕事していることは本名に近すぎて危険すぎ。アノーラがある男たちに追われるシーンの中で、合意なく手足を縛られるなんて本業のワーカーからしたらトラウマもの。プロポーズを受けたらノリで結婚できるのか? つまり恐怖と隣り合わせなのに完全自己責任の仕事に対して、理解がなさすぎるという指摘です。
一方でショーン・ベイカー監督は、つねに弱者を主人公としてきたと言う今っぽい監督ですし、セックスワーカーの調査をしていないはずはありません。私が感じるのは、映画というフィクションの中で、一般の方が分かるセックスワーカーとして描く限界はあるということです。作品中には、アノーラが素の自分を見せるかのような、可愛い一面もありますが、実際は皆無ということでしょうね。
セックスワーカーご本人たち、またセックスワーカーをサポートしている職業人くらいしか、現状は知らない。そして、『アノーラ』はドキュメンタリーではないので、表面的にならざるを得ない。仕方ないように思います。
セックスワーカーの生き方を深く知ると言うよりは、社会の「底辺」にいる女性を主人公にしたこと、この女性が図太くたくましいこと、弱さもありながら主張もする強さがあること、そこに観客は応援したくなってしまうのです。ショーン・ベイカー監督の『タンジェリン』『ロケット・ワーカー』もキャッチアップしたいところ。U-NEXTで観られるようでした。
今日はこの辺で。
映画公式サイト:https://www.anora.jp/