人の死に関わるとは…『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』
こんにちは、星読み☆映画ライターのJunkoです!
ペドロ・アルモドバル監督の新作、『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』(2024)を観てきました。お客さんもかなり入っていて、一度は満席で観られないくらいでした。
『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』へのひと言
人の死に関わることの怖さと重み。
この映画が面白いのは、死が近い病人マーサ(ティルダ・スウィントン)が、安楽死を望みつつも孤独を避けて友人イングリット(ジュリアン・ムーア)を頼るのですが、この2人は大親友ではありません。「彼氏を共有」したくらい近しかったこともありますが、もう何年も会っていなかったところから作品は始まります。観客はジュリアン・ムーアの目線で見ているので、ティルダ・スウィントンに死が近づいているのが、悲しいかというとそうでもないのです。ここが、作品情報からはあまり読み取れない部分です。
そしてとても気軽に、依頼を受け入れます。
実際にこのようなことが起こったら、警察沙汰ですから、作品は突然サスペンスになったりします。つまり、ジュリアン・ムーアの気持ちで見ている観客は、ドギマギしたりもします。
結果、死に対していろいろ考えさせられる、本作です。
作品の中に、一つ「橋を渡る」比喩があります。ニューヨーク・シティの喧騒から離れて、週末を別荘で過ごす、的なお金持ちをなぞったような行動が、いわゆる「三途の川」「あの世」的な印象を与えます。ですから、別荘での時間は別世界であり、現実と切り離されています。
平たい顔族!
アルモドバル監督ですから、普通の映画は期待していませんが、女性を主人公にするところはいつもと同じですね。そして、中年女性が主人公というのもいいです。
マーサとイングリッドの間に同性愛的な文脈は読み取れず、むしろ疎遠の姉妹のような、女性同士の絆のようなものは感じました。
そしてジュリアン・ムーアが大好きなことの一つの理由に、お顔の凹凸が少なく思えるのは、私だけでしょうか。ヤマザキマリさんの「平たい顔族」です。アジア人と全くちがうのに、親近感を覚えてしまいます。
私見ですが、ティルダ・スウィントンよりも、ジュリアン・ムーアの方が感情移入しやすい。ティルダ・スウィントンは彫刻のような骨ばった顔立ちだからです。
そして監督の長編作品としては初めて、英語で撮影していることにも気づきました。短編『ヒューマン・ボイス』(ティルダ・スウィントン主演、2020)『ストレンジ・ウェイ・オブ・ライフ』(イーサン・ホーク主演、2023)に続いてとのことです。
実際の撮影はスペインで行ったそうです。
戦後の1949年生まれ、もう何十年も最前線を走る巨匠アルモドバル監督。次作の情報は出ていませんが、もちろん期待しています!
今日はこの辺で。