リアルさからの共感、『花束みたいな恋をした』(2021)
その昔、有村架純さんと高畑充希さんがよく混じってしまっていました!
こんにちは、映画ひと言ライターのJunkoです!
じわじわと話題の映画、菅田将暉さんと有村架純さんが主演の『花束みたいな恋をした』。脚本の坂元裕二氏が、『東京ラブストーリー』時代からご活躍とは、知りませんでした。アラフィフでこの恋愛作品をおまとめとは、脱帽です。
では、さっそく『花束みたいな恋をした』へのひと言です。
『花束みたいな恋をした』へのひと言
最近一気に流行った音声アプリ、クラブハウスとも重なったんですよね。
音の共有が、気持ちの共有。
この作品は、冒頭に結論が来るようなところがあって面白いのですが、過去が展開しているときはモノローグを多用しています。つまり、自分の心の声で、相手には聞こえていない。自分の中で盛り上がったり、すねたり、いろいろです。
この二人は、どのくらい会話をしていたのだろう、それを改めて観てみたいと思わせるのです。相手の「耳」領域を、どれだけ占有できていたか、と。
そして、イヤホンのステレオの話も出てくる。出てくる音が左と右で違うので、恋人同士で片方ずつ聞くのはダメ、という話。これも、比喩的に効いている。
「1対」で数える、つまり2つで1つなのに、左と右の奏でるメロディが異なる。お互いが「いい」と思っても、同じものを指していない。両方を聞くには、自己完結するしかない。
というわけで、これだけきれいな映像がありつつ「音」が意外に効いているのです。共有できていればシンクロし、そうでなければズレが起こるのです。
場所もリアル、悩みもリアル
本作品は、京王線沿線、調布エリアが舞台となっています。学生が多い街、生活する街。例えばドラマ『逃げ恥』なども面白かったですが、住んでいる家や地域が立派すぎてちょっとリアリティに欠ける。その意味で、ファミレスでのドリンクバー、駅から離れた築古アパート、など庶民的な生活は感情移入しやすい設定でした。
静岡県民としては、ハンバーグの名店「さわやか」が混んでいる、というリアルまで使っていただき、恐縮です。
そして20代の悩みって、恋愛であれば「非日常の恋から日常の愛に移行できるか」、仕事であれば「好きを仕事にできるか」みたいなところがありますよね。男だから、女だからということではありませんが、「聞いたことあるセリフだなー」というリアルがたくさん出てきます。そしてボタンのかけ違い。世代を超えて、人として共通に通る道のような気がします。
鉄板としての、男女のすれ違い
アラフィフ世代としては、『冷静と情熱のあいだ』(2001)や『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004)も思い出しながら観ました。セカチューは、坂元氏が共同脚本に名を連ねています。いずれも、俳優の若さをギュッとそのまま閉じ込めた感じの作品。きっと、『花束みたいな恋をした』もそのカテゴリーに残っていくのではないかと思います。
菅田さんも、有村さんも、学生と社会人の演じ分けがリアルでよかった。はい、この作品の推しポイントの一つは、「リアル」だと思うのです。もちろん映画として少し盛っているところはある。けれども、自分を大きく見せないしオーバーリアクションもない等身大。共感できなければ若者はすすり泣きません。その上で、マニアックな話題をぶっこんでくるあたりが、きわめて上級者の技ですね。
観てよかったです。中だるみなく、124分見入ってしまいました。そして、おそらく厳戒体制であった撮影、お疲れ様でした。
『花束みたいな恋をした』の現実感が、好きだ!