エコバッグもインバウンドも、政治経済で動く

今日は、物事が「志」ではなくて政治や経済で動く、と実感した2つの出来事についてです。

エコバッグ

お買い物のレジ袋が、7月1日から有料になりますね。

便利さは、一度覚えたら元に戻せない性質を持っています。電気のない暮らし、スマホのない暮らし、物理的には可能ですが、したいとは思いません。

私にとってエコバッグは自分にできる意思表明のアクションなので、95%の確率で持ち歩いています。エコバッグのアーリーアダプターなのに、アーリーマジョリティがついてこない状態ですから、影響力まるでなし。

スーパーで、コンビニで、「袋要りません」と何回言ったことか。要りませんと言っても、反射で入れてしまう店員さんもいるので、その時はそのままもらいます。

私は、土に還るプラスチック袋なら使ってよいと思っていて、環境負荷を減らすテクノロジーはどんどん活用すべきです。ただ、それも年月がかかることだと思うので、全体的に使用量を減らさなければいけないということも、分かります。

レジ袋がエコバッグに置き換わったところで、もやしやネギが入っている袋、豆腐の容器、精肉のトレー、たくさん出ますけどね…。

レジ袋が有料となったのは、法律が改正されたからです。容器包装リサイクル法が2019年12月に改正されて、法律はだいたい半年経つと施行となります。経済産業省と環境省から通達が出ていたので、どちらかと言うと世界のSDGsの流れが環境省側にかかり、経済産業省がしぶしぶ応じたのではと想像します。導入に当たっては、現場は必ず反対する動きだと思うからです。

さて、今後有料で買い続ける人もいると思うので、有料化にどのくらい抑制効果があるのかは分かりません。エコバッグを利用して節約する人は一定数いると思います。お店側も、無償で提供するのがサービスだと言うところから、必要な方は買い求めていただく形となり、無理がありません。強いて言えば、ブランドのロゴが入った紙袋などは、宣伝の役割が弱ってしまいますね。

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ハラルフード

ハラルフードは、ざっくり言えばイスラム教徒の方が食べられる食事で、お酒や豚肉を使っていないものです。日本でいろいろな認証制度も出来てきましたが、認証を取ることが目的ではなく、イスラム教徒が安心して食べる、もしくは食べないを判断できるように、成分や作り方を開示できればそれでよいことです。

私はインバウンド観光がブームになる前、まだ日本への外国人観光客めざせ1,000万人!と言っていた2000年頃から訪日する方々と接点があったので、「食」のアレンジには苦労することが多かったです。

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例えば都内の天ぷら屋さんに50人で伺うことを快くお受けいただいた場合、1割くらいはベジタリアンなので、エビなどの海鮮なし、野菜のみとなります。天つゆには魚成分が入っているので出せず、塩で食べてもらいます。卵がNGの場合は、衣をつけられず、素揚げでお願いします。もはや天ぷらではないものの、一緒に食べることに意味があるからです。

イスラム教徒は2割くらいいることがあり、肉類はないので心配ないですが、やはり天つゆがNG。煮切っていてもみりんはアルコールとみなされます。煮切っていれば大丈夫と言う人もいますが、ここは厳しい方に合わせ、塩で食べてもらいます。50人で行くと、定食スタイルで順番に出してくださいますが、最後のグループに出てくるまでは最初のグループは食べ終わっています。それでも、冷めた天ぷらを出さない良心的なお店だと思います。

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こういう店に巡り合えた時はラッキーですが、予約する時点でお店の方針や何を優先しているかはよく出ます。「うちはムスリム(イスラム教徒)相手に商売していないんだよ!」とキレられたり、「これもダメ、あれもダメって、一体何なら食べられるんですか!」と声を荒げて言われたり。お店が、食の多様化に付いていけていないことでもあり、しかし「食」は人のいのちにも関わり、旅の満足度にも大きく関わっている以上、心の痛い出来事でした。

そ、れ、が、ですね、訪日観光客で湧くようになってから、そういうお店が手のひらを返すようになりました。2013年にやっと訪日外国人が年間1,000万人を超えます。インドネシアからの観光客はビザが不要になり、地方にも中国、韓国、台湾、タイの観光客が増え、「インバウンドは儲かる」ということを感じ始めたお店も増えました。まだまだ対応が不十分なところもあるとは思いますが、食べられないものを伝えても、奇異の目で見られることはグッと減りました。

その時も、「この人たちにとっては、お金がすべてなんだ…」(しょぼん)と思った記憶があります。お金がモノを言うんですね。できないより、できるようになってよかったとは思っています。

SNSの書き込み問題

自分はこんなふうに、たまにサムライみたいな心で(私の考える)正義を貫きたいことがありますが、スピリットだけでは物事は動かないです。政治や経済が動いて、初めて大きな仕組みが変わる。もちろんスピリットで影響を与え続ける人の存在も大切ですが、本質的な変化を生むためには、制度自体が変わる必要があります。

今日はそんな2つの思い出話をしたのですが、SNSでの誹謗中傷も、これとまったく同じロジックが当てはまるのです。SNSで誹謗中傷をする人と、しない人がいます。する人への罰則はありません。法律がないから罰せられません。プラットフォーマーが守るべき法律もありません。法ができるまでは、人々の良識に頼るしかなく、すでに限界にきています。

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誹謗中傷をしない人は、サムライ側の人間です。リアルでもオンラインでも、他人の気分を害すことは言うべきでないと思っているはずです。でもそのサムライがいくら、「誹謗中傷はよくない、やめよう」を実践していても、悪意あるコメントが収まるわけではありません。エコバッグを持つ人が増えなかったように、食の多様化を推進するレストランが増えなかったように。

SNSの影響力は、例えば「保育園落ちた日本死ね」でも、#KuTooでも否定しませんが、政治や経済を味方にして初めて、成功と言えるのではないかと、感じています。そのことを知っていると知らないのとでは、エネルギーの費用対効果が大きく違うと思うのです。

Junko

1973年静岡生まれ、星読み☆映画ライター。アメリカ留学経験者、異文化交流実践者、広報コンサルタント。

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