情事を墓場まで持っていく『マディソン郡の橋』への3つの共感

巷は、不倫騒動の話題であふれています。世の中には不倫をする人と不倫をしない人に分かれる、「踏みとどまる力」はどこにあるのだろう、ちょっとそんなことを思っていました。

不倫や情事は小説や映画、テレビドラマでもよく扱われるテーマで、観客は自身の願望を投影することだってありますよね。不倫に男性、女性は関係ないのですが、既婚者同士の不倫や、女性を主人公とした不倫も、昔より一般的に物語化されているかと思います。

今回思い出したのが、1995年の映画『マディソン郡の橋』(The Bridges of Madison County)です。

『マディソン郡の橋』の背景

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『マディソン郡の橋』は1992年にベストセラーとなった小説で、その後クリント・イーストウッドが監督・製作・主演を務めた映画。少しだけ偉そうな話をすると、映画を見る前に原作を読んでみたいと思い、簡単な英語だったので原書(英語)で読むことができました。その後映画を見ると、やはり映像で見ることによる直接的な表現に、がっかりしました。

当時の私は20代ですから、中年男性と中年女性のロマンスはまったく共感できませんでしたが、今は分からんでもない、というところまで来ました。

映画『マディソン郡の橋』はヒット作となり、予算2,400万米ドルに対して興行成績は1億8,200万米ドル(出典)ですから、大成功だったと言えます。日本でヒットするのは分かるのですが、世界中でヒットした事実を踏まえると、3つの理由にまとめられるかなと思いました。

物語が提示した「美徳」と「秘密の思い出」に共感

これが一番分かりやすいと思いますが、個人の欲望よりも家族の幸せや社会的規範を優先する考え方です。フランチェスカ(メリル・ストリープ)とロバート(クリント・イーストウッド)は4日間で秘密の大恋愛をするけれども、フランチェスカは駆け落ちを選ばず、それぞれの環境に戻り、死ぬまで秘密を貫き通します。

Photo by Maksim Goncharenok from Pexels

もちろん昭和的な発想で言えば、一時の感情に溺れてはいけない、世間体があり離婚なんて考えられない、夫は悪い人ではないし、別れたら子どもたちが可哀そう、という思いがあったと思います。そうやって自分を律した、踏みとどまったフランチェスカの「美徳」に多くの人が共感した、そう思っていました。

けれど、物事には二面性があります。もしかしたら「夫もしくは妻以外の人との秘密の思い出に浸ること」にも共感したのかもしれません。誰しも、学生時代付き合った○○さんとか、元カレの〇〇くんとか、短い時間火遊びした有名人の〇〇さんとか… そういう人が妄想の中で彼氏になって、ときめきを生産できている一面もあるかも。フランチェスカは神や仏ではないので、秘密にした分、思い出を壊さずに脳内再生し続けたかもしれないです。言わないことは美徳でも、別の誰かを思い続けていたことは、夫にとっては地獄ですね。

Photo by Matheus Bertelli from Pexels

フランチェスカとロバートはそれぞれ死を迎え、お互いが出会った橋で散骨されます。アメリカでは今でも埋葬が一般的なので、火葬(cremation)して灰を撒くというのは、西海岸のヒッピーとか、限られた人しか選ばないと思われます。互いに今生を終え散骨されることで一緒になるという発想にはロマンがあり、一生連れ添った人の隣には埋葬してくれるなという、ドライな面もあります。

田舎の女性に共感

話としてはよくできているのですが、ロバートは『ナショナルジオグラフィック』のカメラマンで世界中を旅しており、フランチェスカはアイオワという片田舎で主婦をしています。静と動… 静は動に惹かれ、動は静に惹かれます。

フランチェスカは大戦中にイタリアから嫁いだという設定で、アメリカという文脈からも切り離されている人です。アイオワのマディソン郡は、彼女が思い描いたアメリカだったでしょうか?

そう、私たちはメディアでニューヨーク・シティやロサンゼルスといった都市を見ることが多いかもしれませんが、アメリカの牧草地・農作地を合わせると本土の45%ほどになり、都市部はわずか3%(出典:Bloomberg)。映画の大半はマディソン郡で撮影されていて、アメリカの田舎が、静かな映像美として流れてきます。屋根付きの奇妙な橋も含めて。

そして、暑い日にこの橋の撮影を終え、フランチェスカがご馳走するレモネード。この小賢しくない行為に、やられちゃいますね。昭和の日本に置き換えるなら、やかんで作って流水で冷やした麦茶、みたいな…。

Photo by Dana Tentis from Pexels

ちなみにレモネードはアメリカ人家庭での定番です。よく学校での寄付目的バザーや、ガレージセールなどでも、子どもたちが手作りして1杯50セントとかで売っています。

ビッグスターの抑えた演技への共感

クリント・イーストウッドとメリル・ストリープですから、日本で言えば高倉健×吉永小百合? 佐藤浩市×黒木瞳?とにかくビッグスターです。

ここで本来なら演技バトルというか、迫真すぎる演技が周りを圧倒したり、疲れさせてしまうという弊害も起こり得ます。特にメリル・ストリープの場合は、「食ってしまう」くらいの存在感で、畏怖の念を抱かれていることも。

しかし『マディソン郡の橋』は、ロバートの実直さも、フランチェスカの可憐さも、ほどよい感じでした。ケンカせず、オーバーすぎず。ま、ロバートは最後ちょっとオーバーに見えたところがありましたが、それは作品の山場なので仕方ないですね。

Photo by Karolina Grabowska from Pexels

言ってみれば、『冷静と情熱のあいだ』を20年後に撮ってみた、という感じで、中身は若者、外身はおじさんおばさんで、実はとても難しい演技が求められます。画面ではロバートとフランチェスカにしか見えないイーストウッドとストリープ、これが大切で、見事にこなしている二人が作り出した世界が、共感を呼んだと思っています。

日本語では予告編ではなく本編の冒頭しかなかったため、英語の予告編です。

Junko

1973年静岡生まれ、星読み☆映画ライター。アメリカ留学経験者、異文化交流実践者、広報コンサルタント。

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