教師が「今」を生きられるか

教師が「今」を生きられるか

教育業界にはアツい方も多いし、誰でも語れるトピックの一つとして外野も多いので、わりと面倒くさく、何か主張するつもりはありません。ただ、自粛期間中、『みんなの学校』で知られる木村泰子先生との勉強会(ティーチャーズ・イニシアティブ主催)に参加させてもらったので、感じたことを記します。

https://eventregist.com/e/teachers-initiative6

300人ほど参加したというお話でしたので、Zoom(Business/Education有料アカウント)の最大人数までお迎えされたようです。土曜の朝9時開始というのも、教員向けという感じがしました。メモを取らなかったので、今思い出せる範囲ではあるのですが…。

主語は、主役は、子ども

通常であれば運動会やリトリートのような、チームワークを高めるような行事が組み込まれる時期ですが、学校に登校できず、活動休止になっているような状態では、できないことが多いです。先生がたは、ご自身の学校の方針に従ったり、意見したり、悩んだり、色々格闘されているようでした。

Photo by Ketut Subiyanto from Pexels

そこに「問い」として、先生や学校が主語になっているんじゃないかな…?これまで通りのことをやらせてあげたいという先生の思いが出てしまっているのでは?生徒自身はどう考えているのか?それを全力でサポートできるか?という視点が大切なのかもしれません。

また、勘違いしがちなこととして、カリスマ的な先生は、必ずしもいい先生ではないということです。それは生徒に光が当たっていないから。生徒が自ら考える機会を奪っていることすらあるかもしれないから。一度作ったら自ら壊す、というような心持がないと、先生ですら、どうしても過去の栄光にすがってしまうのでしょう。

教師と生徒の埋まらない時間のギャップ

自分の小中高時代によい思い出をもち、教師になることは、いいことだと思うんです。ただね、これかなり構造上の問題だと思ったんですが、小学1年生(6歳)と教員(新卒で22歳)には、最低でも16年の差があります。

Photo by Andrea Piacquadio from Pexels

例えば、2020年に教えている人は、2004年以前に小学生だったわけですが、2004年の小学生が置かれている状況と、2020年のそれとは、ちがうということに、教員自体が自覚的でないといけません。

例えばテクノロジーなら、自身の小学校時代に携帯電話はなかった、タブレットは必要なかった、YouTubeもまだ黎明期だった。社会構造なら、一つの会社に入れば終身雇用が成立していて、勤勉であれば仕事を失う可能性は低かった。大きな戦争も恐慌もなかった。「2020年に、それはホントかな?」と思う必要があると思います。なんなら、2020年を生きる子どもから教えてもらった方がよいかと。

OECDでも「Learning for 2030」と出しているように、見るべきは未来。不確実な未来を生きていく子どもたちに必要なスキルを、大人が伝えるということは、それだけで不利であり、大きな挑戦です。先ほどと同じく、自ら壊すというような意識が必要。しかし壊すという行為は、自分自身で気づきにくかったり、自分の組織ではしづらかったりする。

Photo by Ketut Subiyanto from Pexels

教員も学校外で学ぶ、交わる。このような対話や取り組みが、とても必要なのだと、そして答えがなくても考え続ける姿勢が、大切なのだと感じました。

思考停止は罪!これ社会人でも一緒ですね。