救いようのなさ全開! ケン・ローチ新作『家族を想うとき』
ケン・ローチ監督最新作『家族を想うとき』が12月13日、公開されました。15日の劇場はほぼ満席、彼のコアなファンが来たことと思います。
ケン・ローチ監督は前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』を最後に引退する予定だったと聞いていたので、この作品が完成したことは本当に嬉しい限りです。
原題は『Sorry We Missed You』で、直訳すると「会えなくて残念だった」という感じなのですが、途中でその意味が分かります。宅配便の不在票にそう書いてあったのです。
そう、主人公が職を転じてフランチャイズの宅配の事業主になったところからこの物語は始まります。
その先はもう言うまでもなく、“ケン・ローチ節”が流れます。
誰も悪くないのに、みんな苦しんでいる。
次々とつらいことが起こるから、「この映画早く終わらないか」と思ってしまう。そのくらいつらく、見ていられない。
まあ搾取とか「勝ち組/負け組」とか、戦う相手は大きなシステムだったりするのですが、それもケン・ローチ監督がいつも追求しているテーマであり、時代が変わって景色が変わったにすぎません。
これまでの作品と比べてもう少し身近なのは、宅配便というテーマがあまりに生活に密着しているからではないでしょうか。再配達しかり、交通渋滞や駐停車の問題しかり。例えば炭鉱や生活保護というトピックよりは、グッと迫ってきます。
誰かの「便利」は別の誰かの犠牲に成り立っていると言わざるを得ない時代です。コンビニ便利、Amazonプライム便利、iHerb便利です。今私ができることは、利用頻度を減らすことくらいしかありません。
日本ではヤマトさんも佐川さんも、比較的長くこの業界をけん引しているので、この映画ではUber Eatsのような新興のサービスを想像した方が、よいかもしれません。個人があまりにも守られていない立場、というのが分かると思います。
『家族を想うとき』という邦題が陳腐に聞こえるくらい、言葉にせずただただ感じる作品、という感じがします。
ケン・ローチ監督は徹底して弱者の見方であるのですが、それでも彼らが負のスパイラルに陥り、救いがない。まったくスッキリすることない鑑賞体験でした。