追い詰められた感を体験、『ありふれた教室』
こんにちは、星読み☆映画ライターのJunkoです!
ドイツの作品、『ありふれた教室』を観ました。原題は「Das Lehrerzimmer」と言って、職員室の意味です。英語タイトルも、「Teacher’s Lounge」です。
日本公開までに1年以上かかったのですね。ベルリン国際映画祭(2023年2月)で公開、受賞し、2024年3月のアカデミー賞では国際長編映画賞ノミネートとなりました。日本では2022年の作品と発表されていますが、2023年が正しいようです。
では、さっそく一言です。
『ありふれた教室』へのひと言
視界の限定によるサスペンス感。
本作は、中学校教員と彼女のクラスについての話なのですが、冒頭から分刻みで動いている様子がわかります。学校ってこんなに忙しかったんだなと思わせる、次から次への展開。ホッとできる時間はほとんどありません。
あらすじにあるように、学校内での盗難を一つの事件とし、教員らが強行する犯人探しに苛立ちながらも、自ら犯人探しに乗り出すのが、このカーラ先生(レオニー・ベネシュ)です。
カメラはこのカーラ先生の目線と一体化する部分があり、先生一人では「見切れない」窮状もよく分かります。視界に5人入っても、残りの15人は入らないように。また、自分が席を空けている時に現金が盗まれるなど、誰もを疑いたくなるようなことが起こります。そうすると、全部怪しく見えてくる!のがミソです。
正直、カーラ先生の立場で物事を見ていると、若干彼女に肩入れしてしまうことは事実です。ただ、カーラ先生が100%全能でも模範でもないので、観客も自分の安全が脅かされるように感じたりします。この手法自体は全く新しくないですが、学校を舞台にしたところに新しさがあると思います。
知恵のある生徒の怖さ
本作は、もし事件沙汰になるのであれば罪に問われるようなシーンに溢れています。例えば脅迫、プライバシー侵害、侮辱など。そして、中学生ですから知恵がついてきて、先生を問い詰めることだってできる年齢です。小学生が、覚えたての言葉で「人権侵害!」と騒ぐのと、中学生がそれらしい理論武装をして同じことを言うのでは、大きく異なります。
この部分は、日本でも現役の先生方が注意されている部分でありましょう。注意すること、叱ること、疑うこと、説明を求めること。一つ一つのアクションが、大事になるケースがありうるわけです。映像的には、ここもカーラ先生のクロースアップで、追い詰められた感が出ますね。
生徒は中1の少年少女だから、小学生っぽいところもあれば、先生に反抗したりもする。監督は、プロとしての経験がない子たちを起用したようで、なかなかリアルでよかったです。
多民族社会の実情
この作品が主にヨーロッパで共感を呼んだのは、観客がこれに似た経験を職場などで持つからだと考えられます。
カーラ先生自身、Carla Nowakと言って、ポーランド出身です。ドイツ出生ではないであろう方が義務教育の教員をしていることは、日本の20年先を行っていますね。子どもたちも、スカーフを被った女児がいるなど、多宗教な状態です。
盗難が起こり、誰かを疑わざるを得ない状況の時。どう明らかにしていくか、同時にどう自分を守るか。「〜〜は低所得の家庭だ」「〜〜系は信頼できない」と決めつけることは絶対にできません。しかし、学校という組織の秩序を守るためだったり、ほかの優先事項があったりすると、大人の事情で解決して次に行きたくなる。自分は本当に差別的感情なしで物事を見られるか? それが本当に問われるでしょう。この映画は、もちろん手法や技術で語れることもありますが、比重はコンテンツの方に向いており、学校に代表される出来事が、実際の生活と照合される瞬間があるからです。
イルケル・チャタク監督ご自身も、トルコ系ドイツ人であることを知りました。今後の日本にとって、〜〜系日本人の活躍を見るのがどのくらい先のことか分かりませんが、学校くらい毎日かつ身近なものになった日々、私たちの価値観や偏見が常に試されることを想像します。
そう、本作の賢いところは、学校が舞台の作品を、学校に留めなかったところですね。
映画公式サイト:https://arifureta-kyositsu.com/