想像とちがうヨーロッパ、『枯れ葉』

こんにちは、星読み☆映画ライターのJunkoです!

フィンランドのベテラン、アキ・カウリスマキ監督の新作、『枯れ葉』を観てきました。私がミニシアターに出入りした30年前から、アキ・カウリスマキ監督もミカ・カウリスマキ監督も男性だというトリビアには馴染みがありました。監督も観客も年齢を重ね、すっかりこの映画に合うような雰囲気になってきましたね。ちなみに、「枯れ葉」から連想する中高年が主人公ということではありません。

『枯れ葉』へのひと言

ヨーロッパの別の顔。

フィンランド。北欧の国ですが、日本から見るとスウェーデンもデンマークも丸っと一緒のような雰囲気があるかもしれません。しかしフィンランドは言語的にも特殊で、国民はシャイなところが、日本人によく似ているとも言われます。

一方で、私たちが抱くヨーロッパ像、もしくはヨーロッパ映画像は、多くが英国、フランス、スペイン。中流以上の暮らしをする登場人物がほとんどではないでしょうか。

今回の主役の女性と男性も、素敵なお顔立ちだし、最初は身なりもしっかりしているように見えます。ただ、本作が監督の労働者3部作に続く4作目と言われているように、ちょっとずつ主人公が身を置く環境が見えてくる。単純作業、不安定な雇用、タバコにアルコール。

アルマ・ポウスティが演じるアンサが住む家を見ると、すごく質素。トランジスタラジオが置いてあって、テレビやネットに翻弄されることなく、読書して時間を過ごしている。クラシック映画かと思いきや、時は現代。ラジオからウクライナ戦争のニュースが流れてきて、アルマは暗い表情になる。

アンサの自宅で二人が食事をするシーンでさえ、100円ショップで買ったような皿、缶詰を使った見た目の(映えない)料理、スパークリングワインもハーフサイズで一口だけの乾杯と、決して華やかではない演出。

これ、私たちの抱く「ヨーロッパ」とまったくちがうのです。

国のちがいもあれば経済状況のちがいもある。そんな当たり前を見せてもらったようで、ありがたかったです。ケン・ローチ監督のように、寄り添いながら(登場人物と観客を一緒に)どん底に落とす語り口もあれば、アキ・カウリスマキ監督の場合は突き放しつつも温かさを残す感じでした。

頻出文法、タブロー

おそらく、アキ・カウリスマキ監督のファンの好みとしては、「シュール」「おとぼけ」あたりではないかと思います。『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』(1989)あたりから、もうその香りがプンプンします。(しかも、レニングラード・カウボーイズはロシアのバンドだと思ったらフィンランドのバンドでした。)

このシュールでおとぼけ感を醸し出す映画的な手法として、タブロー(tableau)を使っています。これは絵で言う静止画のようにストップするショットのことです。漫画で言うと「・・・」の感じ。

もちろんタブロー自体は、回想シーンで使ったり、虚無感を出したり、借景のように見せたりと、さまざまな演出として使えます。小津安二郎監督なんかも、よく静止画のようなショットを入れて、ハリウッド的文法を混乱させました。

アキ・カウリスマキ監督の場合には、物語のスピードとも関係して、進度として絵本を彷彿させました。鑑賞後、主人公の表情や、彼らが置かれている状況が一つ一つ思い出され、一つの静止画に思いがいっぱい詰まっている印象を受けました。いつも例に出して申し訳ないのですが、クリストファー・ノーラン監督のように、ありったけの予算で飛行場や雪山を爆破していくような展開とは対極にあります。

眠りをいざなう

タブローとも関係しますが、本作は静かに淡々と、81分が進んでいきます。私は実は、10分ほど記憶が飛んでしまいました。横に座っていた知らない観客からは、30分ほど気持ちよさそうに寝息が聞こえていました。

人生はアドレナリンが出まくる体験ばかりではありません。褒め言葉ですが、本作はリラックスできる効果もあるのかもしれませんね。鑑賞後は、オーケストラコンサートに行って爆睡してしまった時のような感じを覚えました。

監督は引退宣言してからの撤回作品となりましたが、まだ60代。このように人生のエッセンスが詰まった作品を、ぜひまた数年後に拝見したいと思っています。

2023年も本ブログに遊びにきてくださって有り難うございました。来年もご贔屓のほどよろしくお願いいたします!

映画公式サイト:https://kareha-movie.com/

Junko

1973年静岡生まれ、星読み☆映画ライター。アメリカ留学経験者、異文化交流実践者、広報コンサルタント。

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