ウェイン・ワン監督と映画評論カルチャー
こんにちは、星読み☆映画ライターのJunkoです! 今日は雑記となります。
ウェイン・ワン監督が東京フィルメックスの招待で、来日していました。監督のファンは日本にも多くおられるでしょう。私もその中の一人で、『スモーク』(1995)が人生ベストテン入りしております。
監督は2018年(第19回)には同映画祭審査委員長、2019年(第20回)にも『カミング・ホーム・アゲイン』上映とともに来日しており、フィルメックスファミリーという感じでした。2023年現在、『カミング・ホーム・アゲイン』が最新作となります。
2023年(第24回)には『命は安く、トイレットペーパーは高い』が、4K版で上映されました。香港返還決定後の1989年の作品です。上映前に監督が登壇し、「皆さん、今日はこの映画のために残ってくれて有難う」「当時は怒れる若き映画監督だったため、残酷なシーンがあることをご容赦願いたい」と付け加えました。大柄の監督でびっくりしましたし、その後観客席にサッと戻って一緒に映画を見ていらしたので、親近感が湧きました。
作品中、主人公がブリーフケースを大切そうに持ち運ぶのですが、途中盗まれてチェイスのシーンがあります。まだカメラが大きかっただろうに、街中を撮影したことそれだけでもリスペクト。
さて、映画上映後、またこの長身の監督が壇上にあがります。そして、再度「皆さん、残ってくれてありがとう」と感謝。頭が下がります。
観客とのかけ合いが始まりました。フロアからいくつか質問が取られたのですが、お互い真剣勝負。「思ったほど残酷とは思いませんでした」「『スモーク』を小学生の時に観て衝撃を受けました」などのコメントもあれば、「スペンサー・ナカサコさんとの共同制作だから、主人公は日本人の設定なのですか」などの質問も。
監督が質問に答えていきます。なぜ赤色を強調したのか。動物の殺戮シーンの意味は。リストアにあたってリクエストしたことは。ここ、勘違いされている方もいるのですが、「作品を見てもらえば分かる」「作家が意図について語るのは野暮だ」という意見。分かりますが、言葉を使って味わうことで、理解や愛着が深まるのが、この評論の世界です。
そしてこの映画の面白さの一つは、様々なジャンルがかけ合わさっているところで、ファム・ファタール(魔性の女)も登場し、香港ノワールという人もいれば、ドキュドラマ、アクション、サスペンス、コメディっぽところも散見されます。監督もカリフォルニア美術大学で勉強し、ゴダール監督に影響されたと話していましたが、やはり誰もが誰かに影響を受け、そして多くの後継の監督に影響を与えているのです。そして、ワン監督は映画祭のような対話の場で、作品について語ることは慣れている様子。「すべての質問に感謝します」としながら、ご経験や思いについて語って下さいました。
ここまで来ると、映画の「監督」「観客」という二項ではなく、どちらも「映画を愛する人」で括られてしまうのです。そして、各人からの投げかけは、本人の知的欲求や権威力を満たすためのものではなく、「こういう見方もあったか」「この言葉がピッタリ」「これとこれがつながるんだ」など、深い学びとなっていくわけです。
日本語で、ティーチイン(英語では、討論会の意味)などと呼ぶこともありますが、「ティーチ」を使うと、言葉の印象として教えを乞う感じが少しちがう気がします。シンプルにQ&Aでいいと思います。正解のない問いに対して、「深める」ことがねらいだからです。
アメリカの映画の授業では、日常的にこれが繰り返されています。映画評論カルチャーと書きましたが、奥が深く、そして私としても居心地のよい空間でした。ワン監督と東京フィルメックスに、御礼を申し上げます。