暴動の背景にあるもの、『福田村事件』
こんにちは、星読み☆映画ライターのJunkoです!
森達也監督の2023年作品です。事実を元にしており、関東大震災で105,000人が亡くなった数日後の、千葉県福田村での出来事を描いています。四国から来た行商人9名が自警した住民により殺害され、5名は生き残りました。
『福田村事件』へのひと言
鬱憤は散り積もる。
暴動はあまりにも「いきなり起こる」感があるので、なんで?という疑問が湧くわけです。
しかし、暴動はいきなり起きるのではない。日々の細かな怒り、悲しみ、恐れ、不安(不安定)が溜まり、ある日一定量を超えて突然あふれ出すという感じが正しいです。
スパイク・リー監督の『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989)がそれをよく現していました。繁華街の窓ガラスが突然割られ、ものが盗まれるような事件よりも前に、特定の集団を対象とした侮蔑の言葉が日常的に飛び交ったりするわけです。それは、日常の中にある異常です。
本作では、関東大震災が引き金になりました。それ以前にも、特定の集団(話中では、朝鮮人の方々)に向けられた嫌悪、憎悪、侮蔑の感情は社会に存在していました。人間は誰しも、自分と異なるものと接する時に、違和感や不安感を持つと言います。しかし、震災後の噂やデマにより、「この特定の集団から身を守るために自警すること」となり、それが飛躍し、ついに「相手の命を奪ってもいいこと」となってしまいました。
集団リンチが起きたというわけです。しかも、この事件は、特定の集団とは異なる人たちが、犠牲となりました。
人間の進化は遅い
1923年は、大正デモクラシーが叫ばれていた時代。話中にも女性新聞記者が登場しますが、当時では記者職を女性が務めることはとても珍しかったと思われます。
ちょうど100年前、女性に参政権はありませんでした。女性は農作業に従事したり、食事を作ったり子育てをするといった日常の描写が続きます。村の自治は、男性のグループが決めていきます。それが日常であれば、疑問にも思わないわけです。
「〜〜が当たり前」という常識は進化します。しかし、とてもゆっくりなのです。いっけん差別のない社会のように見えても、まだまだ壁は存在する。それを過去や他国から学ぶ必要がある、また学ぶ価値があると考えています。
東出昌大、がんばった
東出昌大さんをスクリーンで拝見して、やはりいい俳優さんだと思いました。数年前にプライベートなことで評判を大きく落とし、私はそれ以来カムバックを確認できていませんでした。
作品の中では、未亡人と不倫関係にある船頭さんの役ですが、飄々としているところが役に合っていました。背が高く引き締まった体つきは、自信があるようにも見えましたし、迷える仔犬のようにも見えました。
他にも、同年代だと永山瑛太さん、中堅だと井浦新さん、田中麗奈さん、豊原功補さん、大御所だと柄本明さんなど、錚々たるメンツが出演していました。これだけのキャストを揃えた森監督のご人望とも思いましたし、作品のメッセージへの共感とも取れました。
心が傷む内容だったからこそ、過ちを繰り返さないことが自分たちの役目だと、感じる今日この頃です。