「普通」から逸脱した人たちの人間模様、『キングダム エクソダス〈脱出〉』
こんにちは、星読み☆映画ライターのJunkoです!
ラース・フォン・トリアー監督と同時代を生きてきてよかったなと思う今日この頃。『キングダム』が1994年、1997年から約20年の時を経て最終章とのことで、上映決定とともにスタンバイ。319分という観客泣かせ、劇場泣かせの長さでしたが、喜んで鑑賞しました。途中、10分の休憩がありました。2022年の作品です。
では、さっそくのひと言です。
『キングダム エクソダス〈脱出〉』へのひと言
社会の周辺にいる人たちが、ヒーローでありヒロイン。
このメインビジュアルに出てくる女性、カレン(ボディル・ヨルゲンセン)が本当に可愛らしくて、かつ勇敢で、いい味を出しているます。彼女は見ての通り高齢、そして夢遊病患者。正直、身近にこういう人がいても困るなぁ、と思ってしまいます。
「普通」から離れたこんな人が、主人公になるでしょうか。
そしてカレンをサポートするのが、病院の用務係、ブルザー(ニコラス・ブロ)。彼も、肥満体型で、「普通」から遠い部分があります。
赴任してくるヘルマー(ミカエル・パーシュブラント)は、デンマークが大嫌いなスウェーデン人。つまり、外国人です。
こうやって見ていくと、あれ、「普通」ってなんだっけと思えるくらい、メインストリームにはいない人たちが多く出てきます。
英語では、メインストリームの反対として marginalized (社会の主流から取り残された、社会的に無視された、疎外された)という表現がピッタリ。そんな人たちしか登場しないことが、よく分かります。
エンタメとしての完成度の高さ
こんなふうに、個性的ででこぼこが際立った人たちが繰り広げる物語なのですが、ラース・フォン・トリアー監督はスイスイと前提を超えていきますね。
巨大な病院を舞台としたドラマなんて、単なる人間模様じゃないかという想像を裏切り、病院の地下が異世界とつながっているかのようなホラーへと観客を導きます。
ちょっとグロテスクも入っているのですが、ラース監督は毒々しさの表現としてよく体内を使います。血や血管、臓器など、普段は目にしませんが、色も形もギョッとすることが多いです。
また、「鏡の世界」のように、ドッペルゲンガー現象も起きていて、古典的ながら中学生くらいでもドキドキハラハラしてしまう内容。反対の反対は?みたいなトリックもあり、つい主人公らの貫く正義の側に肩入れしてしまいます。
本作品は、60分ドラマの5回シリーズなのですが、過去にはエンドクレジットでラース監督が登場していました。最終作ではどうなっているかも、見逃せません。
それでも、テーマは愛
『奇跡の海』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』などの作品のファンなら、ラースのテーマの一つが愛であることはお分かりでしょう。
今回も、母親が赤子に向ける愛情など、たっぷりに描かれています。ウド・キアー扮する赤子は、どうなってしまうでしょうか。
救いがあるか、ないかは別問題。これはラース監督の作品に共通しているかもしれません。しかしながら、本作がシリーズ最終とのことで、このまま受け入れなければならないのも観客の定めです。
もう一度言いましょう。ラース・フォン・トリアー監督と同時代に生きられて、よかった!
次は、キングダムI&IIについて、レポートします。
映画公式サイト:https://synca.jp/LvT_Films/kingdom/index.html#modal
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