キャストと映像の瑞々しさに感服、テレンス・マリック監督『ソング・トゥ・ソング』(2017)
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
こんにちは、映画ひと言ライターのJunkoです!
年末に観た『ソング・トゥ・ソング』が美しくて、ずっと余韻に浸っていました。テレンス・マリック監督、1943年生まれの御年77歳ですごすぎます。
今日は力が入ってしまったので、長文です。よろしくお付き合いください。
私のテレンス・マリック愛はこのブログではほとんど見せていませんでしたが、私の周囲の映画通の皆さんにはマリック推しが多く、影響を受けてきました。
2017年の映画が2020年に日本で公開されたことはとても喜ばしく、公開すぐに見に行きましたが、かなり人が入っていたこともまた嬉しい。3年遅れで日本公開して下さったAMGエンタテインメントさんに感謝です!
では、さっそく『ソング・トゥ・ソング』へのひと言に、参りましょう。
『ソング・トゥ・ソング』へのひと言
本作品は、あらすじとしてはフツーの恋愛映画で、複数の男女がくっついたり離れたりという群像劇です。形式が少し異なっていて、ミュージカルそして実験映画(experimental film)とも評されています。
刺さるけれど思い出せない、浮草モノローグ。
何を言葉にしても、作品を形容できない無力感がありますが、登場人物たちの浮草(ドリフティング)感あふれる流され方を見て、2時間瞑想をしているような感覚です。これが、例えば『ラ・ラ・ランド』など明確な起承転結があって進む作品と全然ちがう。同じ浮草感としては、『ヴァージン・スーサイズ』(1999)が近いかもしれないけれど、ソフィア・コッポラ監督の描いた思春期の女の子に対して、マリック監督は青年期から中年期にかけての男女を描いています。
話がフワフワしているのに観ていられるのは、美しい人たちと美しい景色が織りなす映像だからでしょうか。撮影監督は、メキシコのエマニュエル・ルベツキ氏。あの『天国の口、終りの楽園。』(2001)を撮っていて、最近だとiPhoneの宣伝に起用されていました。
ライアン・ゴスリングさんとルーニー・マーラさんが荒野の水たまりで遊ぶシーンは、『天国の日々』(1978)を彷彿させ胸がキューンとします。
『ソング・トゥ・ソング』のファーストカット(荒くつないだ最初のラフ)は8時間もあり、別の映画、もしくはミニシリーズ物ができるくらい、撮れ高があったそうです(出典)。
ミュージカルを超えるほどに、本作品に使っている曲は全部で54曲とのこと(出典)、エンドロールでも普通の3倍くらい出てきました。そして登場人物の会話を聞きつつ、音楽が流れつつ、本人が回顧するボイスオーバーが副音声的に入ります。このボイスオーバーが、ふと観客である自分の人生に重なったり、共感したりするのですが、それが曲なりセリフなりにすぐにかき消され、心に留まらない。そういう流され方を、観客としてもするのです。
そんな、映画とシンクロするようなふとした瞬間は、観客それぞれに訪れるのですが、誰一人としてかぶらない。映画を観終わった後に会話が成立しないほどに、ふわふわすると思うのです。そして「ライアン・ゴスリングかっこよかったね」くらいにしか、会話にならない。
英語の映画なので、もし日本語のセリフや日本語の歌で観たら、ちがう感覚をいだいたかもしれないですね。
では白旗をひらひらさせながら、もう少しトリビアを書いていきます。
マリック作品だったら出たいよね… 役者陣がすごすぎる
私は作品を観ると決めたら、あまり前情報は調べずに行くタイプなので、作品を観ていて「お!」と思うことがあります。
ヴァル・キルマーは名前が出てこなかったけれど、分かりました。パティ・スミスも分かりました。イギー・ポップは、ミッキー・ロークかと思っちゃいました(スミマセン)。ホリー・ハンターは分からなかった…。勝手な分類ですけれども、マリック監督の同世代が1940年代生まれのイギー・ポップやパティ・スミス(大御所たち)、次の1950年代生まれがヴァル・キルマーやホリー・ハンター(ベテランたち)でちょうど還暦を迎えた頃。ここまでがカメオって感じです。
主役・脇役クラスだと60年代のケイト・ブランシェット、70年代のマイケル・ファスベンダー、80年代のライアン・ゴスリング、ルーニー・マーラ、ナタリー・ポートマン、リッキ・リーと続き、キャストのバランスはいい感じがしました。
俳優としてぜひこの監督さんの作品に出たい!ということはあると思うのです。巨匠マリック監督ならなおさらですね。
テレンス・マリック監督とは
私がマリック監督のことを本格的に知ったのは、1990年代アメリカ。「10年に1本しか撮らない映画監督」というのが彼の形容詞でした。日本でマリック監督をご存じの方は、2011年以降の作品群を中心に観ておられるのではないかと思います。
一つマリック監督で特徴的なのが、知の巨匠でもあることです。当時私が知る日本の映画監督と言えば、戦中で学校どころではなかった世代の巨匠たちであり、東宝や東映のスタジオで師弟関係のように作る職人スタイル。映画は「技術屋さん」が作るクラフトのようなイメージがありました。
一方でマリック監督は、ハーバード大卒、その後オックスフォード大の修士課程へ進み、本を出版し、ニューズウィーク誌などに書くジャーナリストでもあり、MITで哲学の教鞭を取っていたという…。アメリカン・フィルム・インスティテュート・コンサーヴァトリー(AFI Conservatory)の修士課程を1969年に修了し、脚本の仕事をした後、1973年の『Badlands』(地獄の逃避行)で長編デビューを飾るわけです。作品は、知性を押し付けるような難解なものではなく、素朴な主人公二人に引き込まれ、そして映像の美しさで人を魅了します。
マリック監督にとって、一つ大切な場所がテキサス。監督は中高生の時期をテキサス州オースティンで過ごしています。『ソング・トゥ・ソング』や『天国の日々』のストーリーが展開する地。『ツリー・オブ・ライフ』(2011)もテキサスで撮影されたようです。
『ソング・トゥ・ソング』はオースティンでワールド・プレミア(世界初公開)されているのですが、映画や音楽、大型会議などの多目的ホールの名前がSXSW(サウス・バイ・サウスウェスト)。略称は「サウス・バイ」だそうですが、おそらく古典『北北西に進路を取れ』(ノース・バイ・ノースウェスト)のもじりですね。ちょっと河瀨直美監督のことが頭に浮かびましたが、ご自分の思い入れのある土地で撮影するって特別と言うか、とても価値があるように感じます。
監督2作目の『天国の日々』は本当に愛おしい作品で、私の中で殿堂入り。未見の方はぜひ観ていただきたいです。
おまけ 『ソング・トゥ・ソング』の意味
はじめ、one after another のように、この歌からあの歌へ、という感じの意味かな?と思っていたのですが、ロジャー・イーバート氏の映画評論サイトでは、「Song of Songs」(旧約聖書の一遍である雅歌、もしくはソロモンの歌)をもじったであろうことが、書かれていました(出典)。
恋愛関係にある男女のからだの関係、親密な様子を賛美する歌と言うことなので、「Song of Songs」が分かる文化圏の方は作品の色恋沙汰も想像できるのかもしれません。音楽の要素を深掘りするイメージをしていた方にとっては、少し期待外れだったかもしれませんね。
マリック監督作品というひいき目は認めるが、それでも『ソング・トゥ・ソング』の描く「人生は背伸びしてもこんなもの」観が好きだ!
おまけのおまけ ヒューマントラストシネマ渋谷から見下ろした宮下公園は、未来都市感満載!