相反する(と思われる)二項、『美と殺戮のすべて』
こんにちは、星読み☆映画ライターのJunkoです!
少し前ですが、『美と殺戮のすべて』(2022)を観てきました。ローラ・ポイトラス監督です。『シチズンフォー スノーデンの暴露』(2014)も観ていましたが、同じ監督とは知りませんでした。また、写真家ナン・ゴールディンについても、存在を知りませんでした。
『美と殺戮のすべて』へのひと言
どっちつかずさが、売りなのかも。
本作の原題は、”All the Beauty and the Bloodshed”で、邦題もそのままだと思います。
美の部分は、思うままに感性を表現する、ぶっ飛んでいるアーティストの半生。
殺戮の部分は、サックラー財団が大量に販売した薬で、多くの人の命が失われた事実。
その、アーティストとして「美」に、被害者やその家族として「殺戮」に立ち向かったのが、このナン・ゴールディンさんです。
アーティストとしてお客様(パトロン、美術館)との関係は大切。そのリスクを背負って、名だたる美術館でデモンストレーションする姿をカメラが捉えます。
「殺戮」の部分では、活動家ですね。
で、映画を観ている時はずっと「どっちつかず」の印象があったのですが、それは私の中で芸術家と活動家を分けているという証拠にもなっていて。両方を追った人物が、スッと入ってこない感覚が残りました。
スノーデンもそうですが、アンテナを張っていないと入ってこない他国のニュースも多々あります。映画で知る世界があるのだなぁ。
今日はこの辺で。