絶望すぎて希望まで行けない『遠い夜明け』
「神よ、アフリカに祝福を」は南アフリカの国歌、素晴らしい曲です。
こんにちは、映画ひと言ライターのJunkoです!
私はデンゼル・ワシントンさんの大ファンで、彼の星読みも今後予定しています。その準備もあって、彼の過去の作品を観る(軽い気持ちで)リチャード・アッテンボロー監督の『遠い夜明け』(1987)に挑戦してしまいました。しかし、軽い気持ちで観られる映画ではなかったです。
『遠い夜明け』へのひと言
自分がアラフィフになったから、そう思ったのですが、生きていると楽しいことがたくさんあります。
30歳が戦わなければいけない社会を、作ってはいけない。
デンゼルが演じるのは、実在した活動家のスティーブ・ビコ氏。アパルトヘイト政策に反対した活動家の一人です。30歳の、若きリーダー。後述しますが、この作品の主人公がビコかというと、そうとも言えないところがありますが、映画の出来よりもビコ氏の置かれた社会環境に、心が置き去りになります。
家庭を作り、家族ができる30歳。社会に存在感を見せていく30歳。
この映画の中盤、そしてエンディングに、心を痛める事実があります。警察は、憎しみがなければ丸腰の子どもに銃口は向けない。憎しみは、どこから来るのでしょうか。
ビコを演じたデンゼル・ワシントンさんは1954年生まれ、1987年の作品公開当時は33歳です。ビコのとぼけた感じ、落ち着き、言葉選びのセンスやユーモア、素晴らしかったです。
さて、誰の映画、何の映画?
デンゼルが目的で観た映画ではありますが、誰がヒーローなんでしょうか。映画評論家ロジャー・イーバート氏の酷評(出典)は興味深かったです。イーバート氏の指摘は、作品の後半が、ビコではなく逃亡するウッズ(ケヴィン・クライン)を描いており、ジャーナリズムに寄せた作品だという点です。俳優クレジットが、編集長、編集長の妻、ビコの順で紹介されている点も指摘しています。
好意的に解釈するならば、ビコの死を無駄にしないというミッションで、ウッズが立ち上がり、家族を巻き込んで、妻だけでなく子どもたちもそれに協力して、という物語展開があります。一人の「黒人」のために「白人」が自分と家族の命を晒すか、と思わずにいられません。編集長の妻もメイド付き、プール付きの安定した暮らしよりも主義主張を貫く道を選択するにあたり、夫へ本音をぶつけます。その後、妻は夫のよき理解者、協力者、実行者となり、ある任務に大切な役目を果たします。
2021年、風の時代的に解釈するならば、それは友情や友愛のなせること。この映画の原作になった時代は1970年代、また映画が公開されたのは1987年、アパルトヘイト政策が終わる1994年より前の話です。映画と言う媒体で体制批判すること自体が、腹をくくった行為であり、「黒人」の視点も「白人」の視点も入れた方が、オーディエンスの共感を生む意味でもよかったのでは、と、想像してみました。
なお、この作品は南アフリカでも公開され、検閲での削除、改変などはなかったそうです(出典)。
風の時代の前の、地の時代
風の時代とは、情報が飛び交う時代です。インターネット、スマートフォン、ソーシャルメディア、誰もが発信して、受信する時代と言われます。映画にCGIが多用されます。
その前は、地の時代でした。情報は人や土地に属していました。撮影はフィルムでの紙焼き、録音や録画は技師がいないとできない世界。危険とされた人物は行動を制限され、拘束される。情報を外に出すには、目に見えるもの、触れるものを手で運んだり郵送したりするしかない。命をかけて、これらの制限に挑戦するからこその、危険があります。
イランのアメリカ大使館人質事件を取り上げた『アルゴ』(2012)でも、同じ感覚を受けたのを覚えています。痛みはバーチャルではないのです。
2020年のBlack Lives Matterなどを見ると、少なくとも記録を残し、広めることができる時代にはなりました。
撮影も、リアルな時代ですね。『遠い夜明け』はジンバブエで撮影されたようですが、群衆もスラム街もすべてリアルゆえの迫力があります。地の時代の映画、間違いなくお金と労力がかかっています。同じイギリスの、クリストファー・ノーラン監督などもこのホンモノ主義を引き継いでいる感じです。
これを機に、アッテンボロー監督の『ガンディ』(1982)も観てみたくなりました!イギリス連邦の加盟国(コモンウェルス)というのは、日本に育った自分としては少し分かりづらいのですが、主観的でもあり客観的でもあるような視点でしょうか、面白いです。
『遠い夜明け』で描こうとした差別の現実と友情の尊さが好きだ! 主役級で活躍し続けるデンゼル・ワシントンさんが大好きだ!