デミ・ムーア起用なのに惜しい『サブスタンス』
こんにちは、星読み☆映画ライターのJunkoです!
デミ・ムーアが嫌いな人は、私の同世代にはおそらくいません。『セント・エルモス・ファイアー』(1985)でブレイクしました。『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990)のショートヘアが本当に可愛かったし、ブルース・ウィリスと結婚して、パワーカップルとして影響力を与えました。

『サブスタンス』へのひと言
哲学的に振りきれたらよかった。
正直、話は面白かったです。主人公エリザベス・スパークル(sparkleは「輝き」の意味)の長年担当してきたフィットネス番組が終了となり、他人の若さを羨む彼女が若返り薬を手にするところから始まります。
エリザベスと、若返ったスーが交替して生きる生活が始まりますが、このスーとしての時間をもっと長くしたいと思った時に、交替生活に異変が生じます。これはクリストファー・ノーラン監督の『インセプション』を彷彿させるのですが、夢で実現しなかったら、さらにその夢に行く、そういった強行手段に出るのです。
そこまではなるほどと見ていましたが、そこから作品のトーンがずれ始め、心の葛藤よりも視覚中心のグロテスクな画面展開となっていきます。
女性のキャリア、名声、若さと老い。そういった根源的なテーマを持っている作品で、それをデミ・ムーアが演じているのは、最高の組み合わせとも言えます。その問題に触れないまま、ゲテモノショーのようになっていき、ストーリーが崩れていくのが勿体なかったです。
デミ・ムーア自身、若い時大ブレイクして、今は還暦を過ぎた高年女性。彼女のキャリアが作品の主人公のキャリアに重なることを、self-referential(自己言及的)と言います。若さを取り戻そうとしたのかどうか分かりませんが、肉体改造をしたように見えた40代。当然そう言った見方をされることを見込んで、この作品を受けたはずです。昔の水着姿を見ると、整形手術はしたと見るのが正当かな…と思います。
スーを演じたマーガレット・クアリーさんは、アンディ・マクダウェルの娘さんでした。アンディ・マクダウェルは『セント・エルモス・ファイアー』でデミ・ムーアと共演していて、きれいなお姉さん役が印象的でした。
サブスタンスの意味
ほとんどの日本人観客は、タイトルにもなっている サブスタンス(Substance)の意味が宙に浮いたまま、鑑賞するかと思います。それも少し勿体ない。
よく出てくる翻訳は「物質」ですね。謎の薬、入手する「物質」そのものを指します。もう一つよく出てくる意味が、「本質」。自分と自分の分身が存在し、「本質」つまり中身はあるの?という問いも生まれます。外見を追い求めて、サブスタンス(物質)を使い、本当の中身(サブスタンス)を失っていく、そんな感じです。もちろん薬物のこともサブスタンスと言うので、依存していく様子が言葉とぴったりです。
ですから、繰り返しになりますが、本来は考えさせられる映画なのです。若い時を経て初老となったあなたは、あなたなの? 若さが重宝される世の中って? どうやったら、若さを取り戻せるの? あなたの価値は、何にあるの? 若くなければ、あなたには価値がないの? 若ければ、何でも手にできるの? そう言った本質的な問いを秘めている中で、作品はボディホラーになったり、ついにはコメディになったり。デミ・ムーアがアカデミー賞主演女優賞に初めてノミネートされたと知って、悪い冗談かと思いました(『アノーラ』のマイキー・マディソンが受賞)。
演技も全体的に盛りすぎで、深みのない紋切り型の演技。こういうテーマの時こそ「引き算の演技」で、観客に負の感情を想起させてほしかったと思いました。
1980年代のエアロビクスを選択したのも、あえてだったとは思いますが、腰を振った演出は下品な感じでした。性的に搾取される女性が描かれます。2020年代なら、ヨガやピラティスも人気で、エリザベスにはもっと賢く生き残る戦略があったはず。そこを期待したかったです。
なお、本作のサイボーグ的な分身を見ながら、映画『TITANE /チタン』のことも思い出しました。
今日はこの辺で。