「誰が戦争を始めたのか」を問う『開戦前夜』
こんにちは、星読み☆映画ライターのJunkoです!
『開戦前夜』(石井裕也監督、2026)を観てきました。
『開戦前夜』へのひと言
戦争を始めたのは、誰だったのか。
本作は、猪瀬直樹氏のノンフィクション『昭和16年夏の敗戦』を原案に、実在した「総力戦研究所」を描いています。1941年、官僚、軍人、民間から集められた若手エリートたちが、日米が戦争を始めたらどうなるのかをシミュレーションします。
そして彼らが出した結論は、
「日本、必敗」
でした。
これは映画の創作ではありません。実際の総力戦研究所でも模擬内閣が組織され、軍事だけでなく物資、経済、輸送力など、あらゆる方面から検討が行われました。
ここが私はとても面白かった。
今なら、コンサルタントやシンクタンクがデータを集め、需要予測や将来予測を行うことは珍しくありません。「5年後の市場はどうなるのか」「どうすれば売上を伸ばせるのか」といったことを、さまざまな数字から予測します。
1941年の総力戦研究所がやっていたのも、それに近いことでした。
どれくらいの物資が必要なのか。石油は足りるのか。船はどれくらい必要なのか。戦争が長引いたら経済はどうなるのか。
国家のブレーンとして、この国が戦争をしたら、どうなるのか。あらゆる方面から数字を積み上げて未来を予測し、その答えが「日本必敗」。
資源に乏しい日本が戦争を続けるには、海外から物資を調達し、それを船で運び続けなければならない。どれだけ兵力があっても、石油や食料を運ぶ船がなければ戦争は続けられません。
戦争とは、兵士や武器だけでなく、物流の戦いでもあります。今は、地政学などで常識となっていることかもしれません。
つまり、日本は「勝てると思って戦争を始めた」のではありませんでした。
ちなみに、池松壮亮さん演じる宇治田洋一は創作上の人物ですが、史実の模擬内閣で総理大臣役を務めたのは、窪田角一(くぼた・かくいち)さんという人物です。当時は産業組合中央金庫、現在の農林中央金庫の調査課長。官僚でも軍人でもなく、民間から参加した人物が「総理」役を務めていたところも映画と重なります。
負けるとわかっていても、止められない
上映後、シアターから出る時の雑談で、ある女性客が、
「結局、空気感みたいなものだったんだね」
と話していました。
なるほど。
総力戦研究所は、データを集めて考えれば考えるほど、「日本は勝てない」という結論に近づいていきます。
それでも日本は、1941年12月8日の真珠湾攻撃を境に、太平洋戦争に突入しました。
昭和天皇は戦争を望んでいない。研究所は勝てないと言っている。政府の中にも対米戦争を避けようとする人がいる。
それなのに、止まらない。
映画では、「ここまで来て引き返したら、それまでの犠牲は何だったのか」という世論の空気も描かれます。
一方、研究所が数字を積み上げて「勝てない」と結論づけても、「やってみなければわからない」「これまでも日本は勝ってきた」という精神論が押し返してくる。
データが示す「日本必敗」と、それを覆そうとする根拠のない「大和魂」。
理屈では止まるべきなのに、「ここまで来た以上、もう引けない」という空気のほうが強くなっていきます。
そう考えると、この映画は1941年だけを見ていてもわからないのかもしれません。
そもそも、戦争はいつ始まったのか
12月8日の真珠湾攻撃(奇襲)は、「開戦」と呼ばれています。
でも日本は、その日に突然戦争を始めたわけではありません。
1931年には満州事変が起こり、1937年には日中戦争が始まっています。いわゆる「15年戦争」という見方をすれば、1941年の時点ですでに10年間、日本は戦争を続けていました。
さらに遡れば、日露戦争で大国ロシアに勝った経験や、その後の日本の大陸進出もつながってきます。
そう考えると、1941年に突如として、
「アメリカと戦争をするか、しないか」
という二択が現れたわけではありません。
それまでの戦争と、その中で下してきた選択が積み重なった先に、1941年がありました。
戦争を始めたのは誰なのか、と考えていたはずが、いつの間にか、
「そもそも、いつから始まっていたのか」
という問いになっていました。
私が思っていた東條英機とちがった
もう一つ意外だったのが、佐藤浩市さん演じる東條英機です。
というより、最後まで佐藤浩市さんだと気づきませんでした。ヒゲのせいかな、ハゲのせいかな(笑)。
私はこれまで、東條英機という軍人を、かなり「戦争の首謀者」として見ていたように思います。
東京裁判でA級戦犯として裁かれ、死刑になった人物。ドイツのヒトラーほどではないにしても、日本が戦争へ進んだ時代を象徴する「顔」のような存在です。
ところが『開戦前夜』の東條は、少し違います。
昭和天皇の意向を非常に重く受け止め、天皇に忠実であろうとする人物。街頭で民衆から激しいヤジを浴びせられても、それに迎合しない人。
だから東條に戦争責任がなかったという話ではありません。
ただ、「東條という悪者、あるいは陸軍が日本を戦争に巻き込んでいった」だけでは説明できないことが、この映画では描かれていました。
むしろ東條もまた、この巨大な「空気」の中にいて、苦悩した一人だったのではないか。
戦後から歴史を振り返ると、処刑された東條に「戦争をした日本」のイメージが集約されてしまいます。
でも、東條が首相になるずっと前から、日本は戦争をしていました。
ただし、演者たちの語気強め
テーマはとても興味深かったのですが、俳優の演技にはやや紋切り型に見えるところもありました。
とにかく、みんな声を荒らげる。怒鳴るように話す。
池松壮亮さんは、まっすぐに頑張っています。仲野太賀さんは、お調子者そのものを軽快に演じている。佐藤隆太さんは、私の中ではどうしても『ROOKIES』のイメージが強く、今回の中堅層の役には少し違和感がありました。
全体的に演技も演出もかなり大きく、これだけ「空気」という目に見えないものを描いた作品なのだから、もう少し静かに見せても怖かったのではないかと思います。
女性がほとんど登場しない映画の中で、二階堂ふみさんが出てきたときにも少し違和感がありました。もともとの雰囲気がモード系で、ここはもう少し昭和の風景に馴染む人でもよかったのでは、と思ったり。
そして、昭和天皇を演じた松田龍平さんは最高でした。
まず、おぼっちゃまっぽい。言葉を恐れずに言えば、どこか幼ささえ感じる風貌です。
実は、このとき昭和天皇は40歳。松田龍平さんもほぼ同じ年齢で演じています。
何を考えているのかは、表情からはあまり読み取れない。それが逆に、周囲の人たちが彼の言葉をどう受け止めるのかを際立たせているように見えました。
戦争を止めたい人はいた。
戦えば負けると計算した人たちもいた。
それでも戦争は始まった。
もちろん、今の私たちはその先を知っています。日本が敗戦することも、多くの人が亡くなることも知っています。
でも、1941年を生きていた一般の人々は、その先を知らないし、知らされることもない。研究所ですら、藁半紙のような資料を配って議論していた時代です。一般の人々が触れられる情報も、新聞やラジオが中心でした。
2020年代の情報の速度と範囲とは、比べものになりません。
ましてや、総力戦研究所が「日本必敗」という結論を出していたことを、一般の人々が知るわけでもない。
そんな限られた情報の中で、「やってみなければわからない」「これまでも日本は勝ってきた」という声を聞いたら、自分はどの世論を信じただろう。信じたかっただろう。
この映画は、「反戦」というイデオロギーを前面に出した作品ではありません。
むしろ観客を当時の「空気」の中に置いて、「誰が戦争を始めたのか。そして、止められる可能性はどこに、どんな形であり得たのか」と考えさせる映画だったと思います。
それでも全体としては止められなかった。
それを「空気」と呼ぶのだとしたら、世にも恐ろしく、また正体のない、大和魂のダークサイドなのだと思いました。
今日はこの辺で。
映画公式サイト:https://kaisenzenya.com/