心地よくなさを貫いた『DIGGER/ディガー』

こんにちは、星読み☆映画ライターのJunkoです!

『DIGGER/ディガー』(アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督、2026)を観てきました。

主演はトム・クルーズ。監督はメキシコの鬼才、アレハンドロ・G・イニャリトゥです。

映画館で客席を見渡すと、おそらく1割程度しか入っていない。そして終了後、「難しかった」「分からなかった」という感想を漏れ聞きました。

『DIGGER/ディガー』へのひと言

意図的に心地よくない。

※以下、ネタバレを含みます。

ハリウッド的な単純さ、わざと?

トム・クルーズ演じるディガー・ロックウェルは、強欲な石油王。グリーンランドでの無謀な採掘によって地球規模の大災害を引き起こし、人命よりも金銭的損害を心配しつつ、今度は説明責任の場に立たされうやむやにしようとします。

祖父の代に石油を掘り当てた、誇り高き強欲な実業家。

国際問題に発展するため、アメリカのリーダーたちが集まりますが、とにかく登場人物たちが極端です。政治家も実業家も宗教リーダーも、どこか紋切り型。

そして政治的なメッセージが、驚くほどストレートなのです。

アメリカは世界の王者で、ロシアと中国は悪者。そんなハリウッド映画で繰り返されてきた、まるで中学生の脳内のような世界観まで登場します。

イニャリトゥ監督が描くにしては、シンプルすぎる構造。

世界を単純な善悪で語り、アメリカを物語の中心に据える。そんなハリウッド的な発想そのものを、笑いものにしているように見えるのです。

劇中にはトランプ大統領を連想させるアメリカ大統領まで登場します。演じるのはジョン・グッドマン。末期癌を患っている設定で、いつ命が尽きてもおかしくない状況。

政治家を批判するどころか、息絶え絶えなところまで物語に組み込んでしまう。フィクションだからこそ許される、容赦のない政治風刺です。

世界も政治も、演劇なのか

ところが、この映画は単なる政治風刺では終わりません。

途中で、それまで観ていた物語が、実は舞台で上演される演劇だったとわかります。

劇中劇のタイトルは『Fossil Fools』。化石燃料を意味する fossil fuels をもじった、いかにも皮肉なタイトルです。

しかも、舞台裏では俳優自身が、その大げさな演出や事実関係に疑問を呈しているのが、面白いです。

政治家たちは、自分たちに都合のいい物語をつくる。実業家も、メディアも、同じように物語をつくる。私たちが現実だと思っているものも、誰かによって演出された世界と言えるでしょう。

その中に、演劇を賞賛する意図を感じました。

演劇は、現実の権力者を笑い飛ばし、社会を批判し、ときには観客を不快にします。どんな悲劇や喜劇を見ようとも、観客は喜怒哀楽の気持ちを持ち、すっきりして劇場を後にする。自分の見たいものを、物語から抽出しています。観客すら、身勝手なのです。

終盤の舞台と、それを取り巻く荒廃した世界。演劇が観衆に与えられるものは何なのか、考えてしまいます。

白い顔、ロボット、そして世紀末

映像もまた、なんとも気持ちが悪い。

登場人物たちは、どこか白い化粧を施したような、血色の悪い顔をしています。生気がなく、まるで人形のよう。元アイドルのトム・クルーズですら、この顔です。

そして、ヨーロッパが被害を受け、関係者が集まって責任を追及する場面では、ロボットまで座っているのです。細かい演出!

政治を動かしているのが人間であろうとロボットであろうと、たいした違いはないという皮肉か。はてまた、ロボットが人間の世界に食い込んでいることの象徴的存在でしょうか。

終盤には、いよいよ世紀末のような光景が広がります。

政治も経済も、私たちが当然のように信じてきた秩序も、崩れていく。

それでも人間は物語をつくり、演じ、笑う。そんな姿が、滑稽でもあり、どこか哀しくもありました。

トム・クルーズが、ここまでやる!

そして、何といってもトム・クルーズです。

『ミッション:インポッシブル』シリーズでは、自ら危険なアクションに挑み、世界を救ってきた彼が、今回は世界を破滅に導く側の人物を演じています。

特殊メイクで外見を変え、ぶよぶよ太り。傲慢で、滑稽で、まったく格好よくない。

しかも、アメリカという国を容赦なく風刺する映画に、ハリウッドを代表するスターが出演しているのです。

ただ、トム・クルーズは声が独特。

どれほど外見を変えても、あの声を聞けばトム・クルーズだとわかる。少し鼻にかかった、記憶に残る声。顔や姿を変えても、「トム節」のためか、ロックウェルではなくトムに振り戻される瞬間を、たまに感じました。

もう一度観たいかと聞かれれば……

『DIGGER/ディガー』は、誰にでもおすすめできる映画ではないと思います。

政治風刺は露骨で、登場人物は極端。映像は現実離れしていて(作り物ですから)、物語は複雑。笑っていいのかどうか、戸惑う場面も少なくありません。

海外批評では、スタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情』と比較する声も目立ちました。確かに、世界の破滅を前にした権力者たちの愚かさを、ブラックコメディとして描いている点は共通しています。

『DIGGER』は政治的な主張の露骨さや、演出の過剰さを、そのまま観客にぶつけてきます。

それを大胆な挑戦と見るか、やりすぎと見るか。評価が分かれるのも理解できます。

私自身、観終わってすっきりしたわけでも、もう一度あの世界に浸りたいと思ったわけでもありません。

でも、こうしてあれこれ考えているのですから、映画として何かを残したことは確かです。

心地よくない映画を、心地よくないまま観客に持ち帰らせる。

『DIGGER』の制作費は、ワーナー・ブラザース側が約1億2,500万ドルとしている一方、米映画業界誌Varietyは、予算超過により最終的に1億6,000万〜1億8,000万ドルに膨らんだと報じています。

さらに宣伝費に約1億ドルを投じたとされますが、11月初旬時点での世界興行収入は約4,900万ドルにとどまっています。(出典:Variety Australia、The Numbers)

つまり、制作費だけでも興行収入の3倍以上。巨額の赤字が見込まれています。これが、映画が博打と言われる所以ですね。

それでも、監督と俳優は好きと言える作品でした。

今日はこの辺で。

Junko

1973年静岡生まれ、星読み☆映画ライター。アメリカ留学経験者、異文化交流実践者、広報コンサルタント。

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