景山さんが夢に… だから何なんだ

最近見た夢が幸せすぎました。景山民夫さんと会えたのです。

夢の中で、私はお客さんとの打ち上げに出ていたところ、「抜け出してこっちにおいでよ」というお誘いを受けました。その3人が、景山民夫さん、あと記憶では大竹まことさんと木村祐一さん(キム兄)―とにかくひと癖ある人たちです。声をかけて下さったのは大竹さんかキム兄のどちらかで、景山さんに会える嬉しさと、お客さんにどう言い訳しようか本気で悩む、という夢でしたので、実際にはテーブルを囲んでいません。

景山民夫さんは放送作家・作家で、直木賞受賞の『遠い海から来たCOO』がよく知られています。わりとピュアな作品なので、私はもう少しウィットに富んだ内容が好きです。私は高校生の頃週刊朝日の「だから何なんだ」という連載を読んでいた記憶があり、小説はほぼすべて読み、テレビ出演もかなりの確率で見ていたと思います。ひょろりと長身な風貌も好きでした。

慶應、武蔵野美術大に通ったのちアメリカ放浪など、 情報が溢れる前の時代には貴重な体験をお持ちで、ブレザーを着たおぼっちゃまくんが世界をスマートに切り取る様子は、私の憧れになっていたと思います。そのため、私は主に自伝的コラムを好んで読みました。アメリカかぶれと言うこともなく、落語もたしなまれ、というか立川八王子という噺家名もお持ちです。

著書にも書いていらした、 放送作家としての「シャボン玉ホリデー」時代の景山さんを、私は知りません。その後の「クイズダービー」「俺たちひょうきん族」 「タモリ倶楽部」 「11PM」などは、もちろん分かります。1980年代、ある意味テレビ全盛期において、その裏側にいた景山さん。同じ放送作家の大橋巨泉さん(2016年に他界)に並ぶ存在感があったと思います。

(C) TBS

幸福の科学に入信されてから、クリエイティブ界隈でもいろいろな人が距離をおき、私もそこは切り離してフォローしている感じでした。

1998年に50歳で、自宅の火災事故で亡くなったニュースを聞いた時には、あまりに早いお別れにショックでした。

同じ時代を生きていたら、どんなことを発信していただろうか、と思うと、とても寂しい気持ちになります。夢で逢えたことはハッピーでしたが、没後20年経っていることにも驚愕。ご逝去後に出た書籍は読んでいなかったので、これを機に読んでみたいと思います。

Junko

1973年静岡生まれ、星読み☆映画ライター。アメリカ留学経験者、異文化交流実践者、広報コンサルタント。

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