文芸ロマンスの顔をした『ハムネット』
こんにちは、星読み☆映画ライターのJunkoです!
今回は映画『ハムネット』(2025、クロエ・ジャオ監督)についてです。
予告編からは、どこか文芸ロマンスのような雰囲気を感じていました。少し『テス』のような世界観を想像していたのですが、実際にはかなり違います。
『ハムネット』へのひと言
ラブロマンスではなかった。
「恋」の部分をさっと通り過ぎた後に残るのは、家族愛、創作、そして喪失でした。
『ジェリー・マグワイア』(1996)を恋愛映画として宣伝した時のように、本作も“恋愛”を入口として使っている印象を受けました。ただ、クロエ・ジャオ監督作だと考えれば、そんなに軽い作品になるはずもないのですが。
本作は、1580年代のシェイクスピア夫妻を描いた物語です。どちらかと言うと、妻アグネスを主人公として組み立てられています。
作品中、音を聞いていると、私には「アグネス」よりは「アニエス」に聞こえました。実在の妻アン・ハサウェイが、「アグネス」として描かれているそうです。
映画のアグネスは、どこか土や自然に近い存在として描かれています。
薬草について詳しく、出産もベッドではなく、大木の根元でしたがる。アグネスの母親もそうでしたが、少し“魔女”のような神秘さと畏怖を持ち合わせる女性です。
男女どちらに共感するか
この映画を観ていて、女性アグネス側に共感する人は多いのではないでしょうか。アグネスは、子どもと自分の境界線が弱い感じはあります。
夫は都市へ出て、創作や演出を続ける。妻は田舎に残り、身の回りのことや子どもの世話に明け暮れます。時代的背景もあり、子どもはすくすく成長するだけではなく、時には病気で命を落とすこともあります。
私は21世紀に生きる人間として、「育児の男女分業」を見ていますが、シェイクスピアの時代は男性も女性も仕事をし、子どもの世話は「そこにいる人全体」で見ていました。兄や姉も含めて。自分の親も同じ村に住んでいて、何かあれば駆けつけられる距離。
アグネスは、土地を出て都市に籠るシェイクスピアを激しく攻めます。もちろん、置いていかれる側の苦しみはある。
私はどちらかと言えば男性側の、外にある世界に挑戦する姿に共感して見ていました。シェイクスピアは家のわずかな灯りで執筆に専念していても、かならず邪魔が入ります。家を長期留守にするシェイクスピアに対して、アグネスの叱責はやや重たく感じましたし、彼女が悲しみのループから抜け出せなくなっているようにも感じました。
2人の間には、長女と、双子の次女・長男がいました。うち長男ハムネットが、病気で命を落とします。
シェイクスピアは、悲しみを抱えたまま、作品を書く。それが「ハムレット」とのことです。彼の感情表現は、言葉に変換され、戯曲に変換され、他者に評価される道を辿りました。
シェイクスピアを知らないと難しい
正直に言うと、シェイクスピアについての知識がないと、かなり置いていかれる作品でもあります。
私自身、
「シェイクスピアってラテン語のチューターだったの?」
「息子は本当に亡くなったの?」
「双子だったの?」
「実際都市に出て留守が長かったの?」
と探りながら観ていました。
演劇シーンでも、一瞬「これは喝采なのか、吊し上げなのか」がわからなかったほどです。

現代の劇場のように静かに鑑賞する空間ではなく、当時の演劇文化の熱狂や雑多さ、やや観客巻き込み型だったのかと思いますが、生前のシェイクスピアの時代背景が薄いと、「今なにが起きているのか」を探りながら観る時間が続きます。
もちろん、私の知識不足もありますが、この作品は、“知っている人”が見る前提で作っている作品でもあるのでしょう。
実際、シェイクスピアが活躍していたのは、江戸時代が始まる直前くらいでした。「ハムネット」は、1580年代の時代設定と言われます。
ポール・メスカルの存在感
そして、やはり印象に残るのは、ポール・メスカルの存在感です。
お顔は繊細な芸術家な感じもあるけど、まず身体が大きい。肩幅も厚みもあり、どこか農村の男っていう感じが残る。
そのため、教科書に載ってる文豪には見えません。田舎で暮らし、家族を持っていた、自分の親や妻とぶつかった、生身の男としてのシェイクスピアが見えてきます。
電気もない時代ですから、農作業や鍛冶などの力仕事をしない男は、理解されず、穀潰し扱いでしょうね。
でも、都市では彼の作品が歓迎され、観客を虜にしてしまう。そんな演劇の力に、シェイクスピア自身も取り憑かれていく感じがありました。そこも共感ポイントでした。
時代背景によって家族観や男女の役割が大きく異なるなかで、都市の力というのは、21世紀の今も共通しているかもしれません。
田舎:土着、身体性、共同体
都市:自由闊達、感性、抽象、観衆、商業
本作は、主人公の男女を通して、この都市と田舎の両極を描いているようにも見えました。
クロエ・ジャオ監督は「土」「土地」をベースとする作家だと思うので、シェイクスピアを扱いつつ、最後まで土地に残る側の視線を残したかったのかもしれません。
今日はこの辺で。