「家族」を確認する──『センチメンタル・バリュー』
こんにちは、星読み☆映画ライターのJunkoです!
ヨアキム・トリアー監督の『センチメンタル・バリュー』(2025)を観ました。正直、絶対観たいという感じの作品ではなかったのですが、「観てよかった」が鑑賞後の感想です。
『わたしは最悪。』のレナーテ・レインスヴェが、再度主人公を演じていました。
『センチメンタル・バリュー』へのひと言
表現の世界に生きる人間の、現実とズレた感覚。
作品は、ノーラ(レナーテ・レインスヴェ)とアグネス(インガ・イブスドッテル・リッレオース)という姉妹の母親が亡くなり、父親の役割を果たして来なかった父親グスタフ(ステラン・スカルスガルド)が家を出入りするあたりから始まります。
父親はいわゆる業界人(映画監督・脚本家)で、回顧上映も開かれるほどに著名。ノーラも舞台俳優なので、その意味では親の道に片足突っ込んだ娘ということになります。
父は新作に、自分の長女ノーラを出演させようとしました。こちらは、自分の母親を意図的に投影した行為と思われます。また、次女アグネスの幼い息子(つまりは孫)が出演できるよう、このちびっ子にも簡単に役を与えました。
これが、公私混同と言われるかどうか。著名な映画監督であれば、許されるでしょうか。私には、娘を自分に引き止めるための配役のようにも見えましたし、孫を出すのは作品の私物化のようにも見えました。
本人が無自覚にやっているように見えるところが、この作品のミソです。
美人姉妹に、黒船
舞台役者を仕事にしながら自由な恋愛関係にいるノーラとは対極に、一児の母であり地に足ついた印象の妹アグネス。
二人の透明感と、北欧の短い日差しの空。撮影をしている家の白い壁も印象的。若さが人生の「夏」的な空気も漂うし、家庭での父親不在のような「罪」を軽くしてしまうような印象もあります。
容貌にも恵まれた美人姉妹ですが、妹が堅実な道を選んだのは、まるでパリス&ニッキーのヒルトン姉妹を見ているようでした。
アメリカ人女優を演じていたエル・ファニングも、また魅力的でした。ノーラが父からの依頼を断った役を演じるのですが、アメリカ的な快活さを持ちながら、ヨーロッパ的な空気の中では少し異物のように光り、存在感で場を持っていきます。
記憶と家族を読み解く
ここからは、少し精神分析として作品を読むとどうなるか。
グスタフの母は活動家で、尋問・拷問の末自死したそうです。グスタフは、この母の死を受け入れられずになのか、納得させるためなのか、この母が主人公かのような脚本を書きます。母との過去を再構築したい意図も取れます。
長女ノーラは、国立図書館らしきところで閲覧申込をし、活動家であった祖母の公的な記録を目にします。権力の歴史、活動家の歴史。今とは時代が違いすぎるものの、権力に屈しなかった祖母を誇りに思うことはあるでしょう。父のことは憎くても、祖母には興味を持ちました。
物語の結末は、この父も娘も納得するところに着地する感じがあります。ひと言で言うと、家族のかたちをなぞっている感じ。どんなに離れていても、憎しみを覚えても、機能不全でも、家族なんだという確認をしているのです。
ただ、現実の世界と同じで、点が散らばっているだけなので、観客が無理やりつなげているのでしょう。中途半端に終わっていきます。そこに答え合わせはないので、やや散らかった感じを受けました。
最後に、グスタフを演じたステラン・スカルスガルドは1951年生まれ。私にとっては、『奇跡の海』(1996)主人公ベスの夫、ヤン。北欧の渡辺謙みたい(=よく見る顔)になっていますが、おじいちゃん感がよかったです。
今日はこの辺で。
こちらもどうぞ。『テルマ』
『わたしは最悪。』