アメフト国歌斉唱に不起立 賛成?反対?
スポーツ観戦はあまりしないのだが、ちょうど一か月前、ツイッターでアメリカの友人が「kneeling during national anthem NFL」について上げていた。ウィキペディアにも記述があるくらいの米国での社会現象で、2016年、コリン・キャパニックというアメフト選手が人種差別に反対して国歌斉唱時に起立せず、立膝をついたのをきっかけに、2017年反トランプ運動とともにこのポーズがじわじわ広まってきたことを知る。「選手の自由を尊重」「国家に失礼(disrespectful)」と、意見が二分した。
奇しくも2018年9月、シューズブランドのナイキがこのコリン・キャパニックを広告に起用したというニュースも目にした。メディアはナイキが反トランプと書き立てているが、若者にとってコリン・キャパニックがカッコイイことには変わりないだろう。
私自身は「選手の自由を尊重」を取るが、なぜ起立しないのか?歌わないのか?という理由も聞いてみたいと思う。
これと似た議論を8月にしたのを思い出した。友人たちが主催した「障害福祉青年フォーラム」で共生をテーマに話をした時だ。こういうところに集まるのは、基本的に共生社会やインクルージョンを推進しようとしている人たちだが、共生が押しつけではないこと、つまり共生したくない人が一定数いる中で、どちらか一方に決める必要はないということにも気づいておられるようだった。
世の中、たくさんの人がいる。誰と一緒にいるかを決める権利は、それぞれ持っている。その権利が守られる範囲において、それぞれが平和に暮らせたら、それが共生なのだと感じる。
もちろん、対話の場も必要だ。共生YES/NOだけでない、その人丸ごとの面白さを見ることができたら、ちがう展開があるはず。