人が救われるということ、『決断するとき』
こんにちは、星読み☆映画ライターのJunkoです!
『決断するとき』(ティム・ミーランツ監督、2024)を、前情報なしで観にいきました。理由は、キリアン・マーフィが主演しているからです。骨太な作品にちがいありません!オープニングで、エミリー・ワトソンが出ることも分かり、さらに期待。
『決断するとき』へのひと言
救われる自分と、救う自分。
『決断するとき』の原題は “Small Things Like These”、「このような些細なこと」みたいな感じです。主人公が見てはいけないものを見て、決断する、そんな出来事が容易に想像されます。はじめは、ナチスのような戦時下の話かと思っていました。
本作ではアイルランドでの「マグダラの洗濯所」(Magdalene Laundries)という1996年まで実在した制度を扱っています。マグダラのマリア、つまり堕ちた女性が悔い改めるために入る更生施設が、ほかにも英国やアメリカで存在していたようです。はじえは売春婦から始まって「社会にとって都合の悪い女性」全般となり、見えない場所に押し込める制度となっていました。私はここの知識がないまま見てしまったので、ここだけ予習してもいいかも。
日本にいて少し分かりづらいのは、キリスト教の背景です。当時これらの施設は、宗教と社会の名のもとに「正しいこと」として受け入れられていました。実際には、名前も奪われ、劣悪な状況で無給で働かされていたとのことで、同時期にあった収容所すら想像してしまいます。
アイルランドでは、すでに国家レベルで謝罪がなされ、事実が明るみに出ています。ですので、過去を振り返りつつ、このような制度に振り回されたのは当事者の女性たちだけではないことを、語っていきます。
過去の自分と向き合う
キリアン・マーフィ演じるビルという男性は、石炭を運ぶ販売代理店みたいなお仕事をしていますが、石炭を届けた修道院での小さな違和感に気づきます。
が、物語の中で、私たち観客は、このビルも過去にあらゆる偶然が重なって生き延びた経緯を知ります。つまり、ビルの母親は裕福な家庭の女亭主に住み込みとして雇われ、ビルは父親不在で育ちました。つまり、ビルの母親はマグダラの洗濯所に追いやられてもおかしくない存在だったのです。
作品中、ビルは修道院での出来事をきっかけに、「救うとは」「救われるとは」を、自分に照らし合わせて考え始めます。しかし、彼にとってそれ自体がトラウマですから、善悪がグルグルする行為と言えましょう。
そしてもしビルが修道院の少女を連れ出すとしたら、社会的には裏切り行為になる。誘拐ともみなされ、ヒーロー的行為ではありません。そんな圧力を感じながら、ビルがどう行動するかが見ものです。当然、キリアン・マーフィですから、静かな演技です。画面もずっと暗いです。
キリアン・マーフィという俳優は、実にいろいろな顔を持っていると言えますが、『28日後…』も『インセプション』も『オッペンハイマー』も思い出深いものです。彼はここで、声を張ることも、感情を吐き出すこともなく、とどまる、停留する、見続けるという行為が、演技として成立していると感じます。
俳優を支えるプロデューサーたち
キリアン・マーフィは、主役のほかにプロデューサーとしても名を連ねています。そこに加わるのがマット・デイモン、さらには制作総指揮にベン・アフレックの名前が。俳優主導の制作で、そこに共感するプロフェッショナルが集まり、このような静かで一般受けしない作品が成立したとも言えるでしょう。
エミリー・ワトソンも、あの『奇跡の海』(1996)では神に見放されたのかのような若き女性を演じました。今度は、神の名の下に少女たちを制裁する、厳しいシスターです。なかなかです。
あまり糾弾するタイプの映画でもないですが、知らん顔、見過ごすこと、無関心、そういったものに注意を向けてくれる作品でした。
今日はこの辺で。
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