意外にも苦痛が伴う、『女の子』
こんにちは、星読み☆映画ライターのJunkoです!
2025年の東京フィルメックスで何本か作品を観ることができましたが、その中でも台湾女優スー・チーの初監督作品である『女の子』(2025)について書きたいと思います。
『女の子』へのひと言
タイトルからは分からなすぎる、過酷な少女期。
タイトルはシンプルで、ビジュアルも『となりのトトロ』的で、どこか無邪気な雰囲気が漂います。私はよくあるスクールものを想像していました。
本作が「半自伝的」と聞いて、スー・チーの人生が波乱に満ちたものとは思わず、自分ののほほんとした思春期の延長に作品を据え、鑑賞しました。
2人姉妹のお姉さん。アル中の父親の罵声が飛び、暴力があり、家が安全な場ではない。母のイライラの吐口にさせられたり、罰を課せられたり、妹ばかりが可愛がられ、それにも反抗しない。そんな無言のシャオリー。
児童相談所が駆けつけるレベルです。
タイトルとの落差で、作品の残酷さが際立つ効果もあったと思います。
スー・チーの映画人生
鑑賞後、調べました。スー・チーのデビュー以前の生い立ちについて分かりませんでしたが、彼女は香港でソフトポルノでデビューしていました。
South China Morning Postの1997年記事(Shu wants to strip away her past)によると、スー・チーは家を出て生活するために働く必要があった、若くてあまり選択肢がない中で、香港に渡り、成人指定映画へのオファーを受けた、ということです。
日本でも、デビュー当時ヌードで売り出した女優さん、タレントさんはいます。ただそれは、スー・チーのそれとは違う。生きていく術として、この業界に足を踏み入れました。
どこまで「半自伝的」かはともかく、映画という媒体を通して語れるようにまでなった監督は、本当に強いです。しかも、女優として長く親しんだ映画というメディアで、それを語ろうとしたことが、彼女の覚悟を感じます。
ですから、スクリーンに写っているのは「どこにでもいる女の子」ではなく、「何とか生き延びようともがく女の子」なのです。
リリーがもたらす「外の空気」
物語の中盤、転校生のリリーが登場します。リリー役の子は可愛かったけれど、海外帰りで、自由奔放、おしゃまな感じが、ちょっとありきたりすぎないか?という感も。
台湾で絶妙にいいのは、「夜」。見られている「日中」とはちがう顔を持つ。昼間よりは少し過ごしやすく、人々も少しリラックスしている。過去の作品だと、蔡明亮監督の『青春神話』(1992)も、エドワード・ヤン監督の『カップルズ』(1996)も、夜のリズムや空気感が特徴的で、夜は別の質感を持って描かれています。
『女の子』も例外ではなく、夜遊びしたり、昼間の窮屈さから開放される感じが、よかったです。
構成の弱さ
本作は、2025年ベネチア国際映画祭でワールドプレミア上映され、その後、釜山国際映画祭では最優秀監督賞を受賞したそうです。
話題性はあるものの、脚本が弱い、登場人物の背景が描ききれていないという指摘がありました(View of the Arts)。私もその点は理解します。
でも、人間の記憶に近い。そう思います。全てが説明されるわけではない。全部わかるわけではない。順番がつながらない。断片的。理不尽に見えるところも。そういう作品です。シャオリーは、たかだか中学生(?)ですよね。まだ人間としても、成長中です。
スー・チー監督の思い出を、パーソナルに共有してもらっている感じ。
ありがとう。
そしてすぐに2作目を撮る感じではなかったけれど、スー・チーの女優として、監督としての今後が、気になります!
今日はこの辺で。